日向坂ヒット祈願生配信に対する心配

めちゃくちゃ忙しい中で、チアダンスの練習して生配信で披露したメンバーの頑張りは本当に感動した。
失敗とか関係なくその努力とパフォーマンスは褒め称えれてほしい。でもとてもモヤモヤもした。それを書きたい。

みーぱんが数日前に体調崩して休業し、そのみーぱんの代わりに(前から体調崩してて、それに気づいてたんだろうな)アクロバットを担当したから、どうしても成功したかったおたけと影の気持ち。ダンス中に溢れ出てしまうおたけの涙。語り出すと想いと涙が止まらないカゲ。
本当に多忙の中、バク転を担当して本番前から疲弊しまくっていたかとし。メッセージの寄せ書きにも「頑張ります」としか書けず、バク転を補助付きに変えることを伝えられた時も「助かります」としか言えないほどに。
多分序盤のジャンプで右足を痛めて、その後のバク転では左足だけで着地し、終わった時には過呼吸みたいになって立てなくなっているのに、おたけが泣いていると慰めるその優しさ。
絶対に笑顔を崩さないキャプテン。
本当に感動したし、泣いてしまった。

だけど、辛い状況であればあるほど、乗り越えた時に感動するというのはとても残酷なことじゃないか。今回の配信に「感動した」おひさまが、間接的に彼女たちを追い詰めてしまっているのではないか。

確かに日向坂は苦労をしていて、それを乗り越えたんだという物語性が人気の1つの理由だったりもするから、ある程度仕方ない部分はあるかもしれない。

だけど、「辛い状況を乗り越える感動」をフィクションじゃないところに求めるのはどうなんだ。
今回みーぱんやかとしが結果的に大丈夫だったとしても、好評だとなったなら、誰かが潰れてしまうまで続くんじゃないか。
そして何より残酷なのは、その方が私たちは感動してしまう可能性があることだ。


onepieceに求める感動を日向坂にも求めるのは間違ってる。
少なくとも、作為的にその状況を作るのは間違っている。
このことを「感動した」「勇気をもらった」と同じぐらい大きな声で言いたい。
決して彼女たちが辛い状況になるのを見たいわけではない。


水曜日のダウンタウンのクロちゃん回と同じ感じだ。
確かにクロちゃんが可哀想であればあるほど面白いし笑ってしまうのだけど、それの行き着く先は、クロちゃんの殺害なんじゃないか。
自分たちが持っている加虐性みたいなものに自覚的になって、どこかで線引きするべきじゃないか。


追記
「運営がこういう企画をするのも、メンバーがこれに耐えるのも仕事なんだから仕方がない。社会を舐めるな。」
という趣旨のツイートが何件もあった。
確かにその通りで、日向坂の主たる収益源であるファンが求める限り、それに答える環境を作るのがスタッフの役割であり、アイドルをやることを選択している以上それをこなすのがメンバーの仕事だ。
だからこそ、「ファンが求める」という部分でストップをかけないといけないのではないかと思うのです。
「人と人が殺しあうのを見たい」というのはもしかしたら人間の根源的な欲求かもしれない。それに応えるべくコロッセオとかがあったのだと思う。だけど、それはもう求めてはいけないのではないか。欲望が誰かを傷つけるなら、その欲望は我慢しないといけない。

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