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雨上がりの後のお散歩 (大阪日記)


今日は おうちでごろごろしています。
茶トラ猫さんと たまに遊んだり、
いっしょにお昼寝したり、
なんて幸せなんでしょう。へへへ。


夕方前に 雨上がりのお散歩に行きたくなりました。
大阪城公園へ ちらっと行きました。


雨上がり後だけに会えることができる水溜まりの空です。思わず 覗きこみます。
なんとなく 水溜まりの向こうの世界の生き物へ 心の中で手を振ります。ぷぷぷ。


山茶花の花弁が 下にたくさん落ちていました。
はらりと落ちるひとひらの花弁の上で
新しい蕾が 出番を待っています。
硬く閉じて
『しーっ🤫』て(笑)
陽に透ける花弁、ギザギザ光る葉っぱのふち。
堪らなく 愛しいです。

お月様が見えます。
山茶花は ぶれましたが、お月様を枝先に
重ねてみました。
お月様の蕾みたい。ふふ。
なにか伝えてるみたいに キラキラしていました。写真なので そのキラキラは 伝えづらいです。
写真の一枚としては なんなのこれ、という一枚ですが、ここ一帯 なんだか好きで じーーーーっと眺めました。 何に惹かれたんでしょう(笑)
高いところに カラスがたくさんいました。

 太陽の陽が当たって 建物の縦の線が光るところが気になって 眩しくて何も見えないまま
撮ってみたのですが あとで確認して
写真を見ても 眩しいです(笑)
きらきら
きらきら


人が多いと 様々なところで 
行く先の道路上で んー…と思うことが あります。

 瞬間 嫌な気持ちにもなるんですが、毎日 自分のなかの神様みたいなものに話しかけていて よく会話するんですけど。

そういうむっとした時の気持ちの行く先のことを教えてくれました。


わたしが むっとして
知らないその人に 捨て台詞のような気持ちを投げてしまうとしたら、
それは、その人にも 届いてしまうかもしれないけど
必ず 自分に返ってくるんだよ、と。

よく言われる言葉でもあるけど 
ゆっくり考えてみて、と言われてました。

もう長い間 それを考えていたのですが
 本当に数年前くらいから よく理解できるようになりました。


例えば 知らない人に 怒りをぶつけるとすると、それは口に出していても出していなくても 人には念というものもあるようで
何かしら 届いてしまうとします。

その知らない人って
本当になにも関係ない人なのかな、なんて考えます。

さっき どこかでお店に入った時
優しい店員さんに出会って
この人には いい事がたくさんありますように、なんて思ったけれど

もしかして その店員さんと知らない怒りをぶつけた人は家族かもしれなかったり。

そしたら 怒りをぶつけた人が 家に帰って 素敵な店員さんに 八つ当たりしたりなんかして。

そうなると
自分が撒いた怒りが どんどんもっと知らない人に 流れていってしまって 結局 いつか 世の中が荒れて 自分に返ってきたり。

大袈裟かもしれないですが、世の中が荒れているのは 些細なあの自分の怒りかもしれない、なんて思ってみたりしました。


今は 歳を重ねて 怒りがほぼなくなりました。
むっとする一瞬は 今でもありますけど
言わなければいけないことは言うようにしているし、

何より たいていの些細なむっとすることは 神様に任せておけばいいのだと思うようになりました。

自分は いい空気を、いい場所を、つくっていくことに専念するのです。

そんなふうに思えるようになってからの 訪れるタイミングは 本当に 感動するようなものが増えました。
心が震えるようなものや 
魂から ほっとできるようなことが
歳を重ねてから 経験できるって 有難いです。


これを覚えてからは、
子供たちが 仕事場の愚痴を話してる時も うんうん、わかるーとか聞きつつ、
最後は 「神様にあとは任せよう。他人の良くないところは早めに忘れて 気持ちいい自分でいられるようにね」と話してます。


まだまだ 生きている限りは 完全完璧にならないのが 『人間』です。
 少なくとも、わたしは そうでありたいです。

知らないことや気づいていないことが たくさんあります。

わたしは 欲張りなので もっと純粋に素直に いろんなものを知っていきたいです。





今日もいい日でした。



 






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