生き抜くための愚痴が誰かを巻き込んでいることに無自覚であることに対して周囲はどのような声かけをするのがよいのか

割引あり

かつて、とある工場で働いていたことがあった。わたしはこれまで3年以上継続して同じところで勤務した経験がほぼないはずで、その工場での勤務期間もおそらく半年から1年のあいだくらいだったのではないかと思う(履歴書を確認すればわかることだけれど、そこは今回の話においてまったく重要ではないため確認しない)。
退職するきっかけになったのは、これまた上司との衝突だった。先日「やっかいなナルシシズム:パワハラの記録」に書いたとおり、わたしはいまメインで働いているN塾でパワハラを受けた。パワハラを受けたことによってわたしから上への提案、つまり、生徒さんの呼称についてのルール変更と合理的配慮の義務化に向けての準備が前に進んだのならばまだしもがんばったかいがあったと思えるけれど、いまのところそのような変化は起こっていないようで、このことは思い出すだけで気分が重くなる。というより、いまもまだ職探し中で、思い出すもなにも、毎日、つねにダメージを受けている。悪夢を見る頻度も、悪夢を見たときに流す汗の量も甚大なもので、なかなかよくならない。
このいまの状況に比べると、工場(以下、A工場)をやめるときの上司との衝突はまだ小さなものだった。それは、衝突した内容についてかけてきたエナジーが今回の件に比べれば小さかったこと、衝突したその日を最後にすぐに辞めたことなどがおもな理由であって、決して「あ、全然痛くないです」という意味ではない。全然痛くなかったらおそらくこんなふうに何年もたってるのに文章にわざわざ起こすなんていうことはしないのではないかと思う。ちなみに、いま「何年もたって」と書いていて思い返してみたけれど、おそらく6、7年くらい前の出来事だったんじゃないかと思う。これについてもわざわざ履歴書を確認しない(面倒だからというだけでなく、裁判をするわけでもないのに個人的なことを事細かに明かしたくないという思いもある)。
A工場では、10人未満の小さなグループが順繰りに休憩をとることがつねだった。人によってはフルタイム勤務でない場合もあるため、そういう人はフルタイムの人が休憩をとるかとらないかくらいのタイミングで退勤する。わたしはフルタイムだった。上司(以下、A工場の上司Kあるいは上司K)もフルタイムだった。上司Kには妻も子どももいた。それなのに、家族関係があまりよろしくないようで(よく周りに愚痴っていた)、早く家に帰るのを嫌がる傾向にあった。そのため、業務の進め方の関係上、上司Kは休憩に早く入ったほうが早く家に帰れるし、早く休憩に入れる状況にあるにもかかわらず、あえて遅めに休憩をとるということをよくしていた。働きはじめたことはそういうことがわたしには見えていなかったし、見えてきたからといってすぐには積極的にそのことを口に出すわけではなかったけれど、会社全体で残業を減らしていこう、人件費を削減していこうという機運が高まってきたタイミングで、わたしは上司Kに「Kさん、休憩入って大丈夫ですよ」とそれとなく勧めることが増えていった。

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