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年末年始のお出かけから思うこと

年末年始は夫の実家に帰省していた。帰省先から友人に会いに行く時に長女を連れて行った。1年以上前に次女だけ連れて行ったことがあるのだが、その時に「わたしもママとおでかけしたかった」と後から何度も何度もぶーぶー言われたので、それ以来、こういう場面では長女を連れて行くことにしている。

今回は電車を乗り継いで目的地まで行ったのだが、非常に「良い子」だった。私と手をつなぎ、走り回ったり座り込んだりせずおとなしく歩き、周りの景色を物珍しそうに見ていた。何か面白いものを見つけると「あれみて!」と教えてくれたり、「おもしろいね」と口に手を当ててお上品な感じで笑ったりしていた。
友人と合流してレストランに入っても、静かに座っていた。

ああ、あなたはこんなに立派なお姉さんになったのね。
と思った。

そして、長女と二人でどこかに出かけるということを、自宅からは全然していなかったと反省した。保育園、習い事、通院などの日常の範囲内では一緒によく歩いているが、お出かけという非日常を長女と二人で経験する機会が全然なかったことに気づいた。

1年前は、子どもを一人連れて行くなら次女の方が断然楽だったのに、今は長女の方が楽かもしれないと思い至った。
次女は今イヤイヤ期の真っただ中。交通ルールを理解していないので、目を離すとどこに走っていくか分からなくてヒヤヒヤする。床に落ちた食べ物は汚いということも理解していないので、拾い食いしないように目を光らせている。
でも、そういえば、長女はそういう突拍子もないことはもうしなくなった。慎重な性格だからというのもあるけれど、駅のホームの白い線から出ないように立っているし、一人でパーッと公道を走っていったとしても、車が来たら脇によける。うっかり車に接触しそうになったこともあるので、目を離すのは危険なのだが、だいぶ手がかからなくなったと感じる。

これは私にとっては画期的な発見だ。
長女は、赤ちゃんの時は手のかからない子だった。夜ずっと寝るし、寝かしつけもいらなかった。それが段々とdemandingになり、就寝時の添い寝によって私の夜の自由時間は消え、なんでもかんでも「ママがいい」という彼女の要求にこたえてあげることが日常になって、私の行動や思考も制限された。
次女も赤ちゃんの頃から手のかからない子だったので、とにかく長女を優先していたら次女はいつも置いてけぼり。可哀想だなと思うけれどケアする余裕もなくこのまま来てしまった。
手がかかる長女 vs 放っておいても大丈夫な次女
という公式が私の頭の中にずっとあったのだけど、それが崩れかけている。
イヤイヤを爆発させる次女を前にすると、おとなしく座って一人で遊んで待っていられる長女が天使のように見えてくる。

去年は一緒にお出かけしなかったので、長女がこんなに成長しているのに気が付かなかった。
この事象の背景として思い当たるのは、私自身の移動手段の少なさ。運転免許を持っていないので車がない、子どもを乗せる自転車もない。だから赤ちゃん時代は抱っこ紐とベビーカー、大きくなってからは歩き。(ちなみに長女が生後3カ月の頃、ベビーカーを持っていなかった私を見かねて義母が買ってくれた。)
それぞれの手段の良し悪しはあると思うが、私の場合、子どもが二人になってからは「二人連れて行くのは大変」という意識が強くなって行動範囲が狭くなっている気がする。
ミニマリスト的な考え方が好きなので、モノを持ちすぎないことを良しとしてきたが、子どもを二人乗せられる自転車くらいは持っていても良かったかなと、今更思ったりした。なお、マンションの駐輪場には限りがあるし、長女には自転車を買ったので、今後子どもを二人乗せる自転車を買う予定はない。だけど、長女が
「ママがうんてんするじてんしゃにのってみたい。あたしがうしろでSちゃん(次女)がまえね」
と言ったことがあって、モノをミニマムにする暮らしの代償として、何かを経験する機会を取り損ねているのではないかと思い、ハッとした。全部取りはできないし、それぞれの良し悪しはあることは頭ではわかっているのだが。
そんなことから考えが派生して、
「運転免許を取るなら今なのかも」
と年末年始に悶々としていた。

手段は何であれ、経験を積むためにお金や労力は惜しまないようにしたい
と年始に誓いました。


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