見出し画像

根本敬 presents 蛭子能収「最後の展覧会」を見ました

蛭子さんは認知症を患い、これも最後の個展ということで、私にとっては最初で最後の展覧会。

“独創的な…”みたいな褒め方はほんとにありきたりで嫌なんだけど、決して誰もが称賛する画風ではなくても、ちゃんと己の中の衝動や感覚を外に出すことってやはり必要なアートなのだと思う。

片隅に書かれたサインが絵一枚一枚ばらばらで、文字も全く変わっていたりするけど、それでも“自分のサイン”を残すことは最後はちゃんとやるんだな、というのが感じられて良かった。

最終日に行ったため、ご本人にもお会いした。
あまりこちらには反応がなく、お会いした、というよりはお見かけした、に近かったのだが、こういう機会にお目にかかれたのは良い体験になった。
アシスタントらしき方に「写真どんどん撮って良いですよ!」と言われたので一枚だけ失礼したけど、流石にここにあげるのはやめておく。


自分も創作をしたいと思っているけど、本当に最期の時までそれが続けられるのか、出来る限りはやり続けられるのか、色々考えてしまった。それを絞り出すためにも、躊躇わずに頭の中身を表現していくことが必要なのかもなあ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?