見出し画像

空き家銃砲店 第十一話 <台所>

調理場は北に面し、冬は寒いが一面ガラス戸で明るい日差しが入ってくる。調理台を中心にガスコンロは左手、配膳台は右手で、広く取ってあった。配膳台の横には作り付けの棚があり、数枚の食器が入るようにもできていた。調理台の後ろは冷蔵庫置き場。

食堂と調理場は棚と一体になった壁に仕切られ、縦に一メートル、通路分が開いている。テーブルからは調理の様子は見られない作りだった。

子どもの頃はめったに入らなかったし、かき氷のための氷やジュースをもらいに入ってもすぐ出された。

祖母はお手伝いさんつきでお嫁に来たためか料理が苦手だった。毎週金曜日に一度にカレーを作って、食べきるまでカレー。子どもだった母を「カレーはもういい」という大人にした。ただし、お漬物をつけるのは上手く、特に奈良漬はパリパリで上手だった。それだけに欠けた器に入っていたのは何と言えない気持ちになる。

そのお手伝いさんはおそらく銃砲店に改装するまではいて、それから後は用事があるときだけ別の人をお願いしていた。

祖母が亡くなってじっくり見る機会が訪れ、配膳台の右手には階段があるのも初めて知った。3段下ると土間になっていた。

お漬物とかを梅干しのざるなどを置くためだったらしく、簡単な木の大棚があり、冷んやりとした場所だった。この土間の奥には扉があり、外に出られるようになっていた。

おまけ

祖母は草取り、バッグや着物の見立て(良い生地や柄を選ぶ)、お見合いをまとめることは得意だった。不得意だったのはお漬物をのぞく料理、修理、物の捨て方、ほかの人が着られるように着物を仕立てることや金銭管理、犬の面倒、優しい物言い。


1日1にっこり。 読みやすくて、ほっこり、にっこり、にやり、とする記事を書きつづける原動力になります。よろしくお願いします。