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ため息俳句番外#32 爺ィの詫び言

 時々、「お知らせ」でメダル獲得が伝えられる。行動心理療法の手法の一つトークンエコノミー法とかの応用だろうとうすうす気づく。けれど、こんなことで動機づけの強化が図れるものかと常々思う。
 
 それでも、メダル獲得とは違うが、2、3日前に全体のViewが50000余りと伝えられたのを見て、ちょっと気持ちが動いた。
 50000と云ったって、自分自身が更新やら暇つぶしやらで愚録を開いた回数も含まれるだろうから、お他人様の目に止まった回数としては、ずいぶんと目減りしているはずだ。
 それでも、数字の魔法というか、インパクトがあるもので、田舎の引きこもり爺ィとしては、五万という数に、ちょっとやに下がった。その程度の数字はほぼ一年間のアクセス数としては、皆さんにはとるに足りないものに違いないのでしょうが・・・。
 
 しかし、だが、待てよ。少し冷静に自分を見よう。そうして、はたと気づいた。自分の場合、更新翌日に文章を見返して点検修正することがしばしばである。その頻度は馬鹿にはできないほど多かろうと。
 社会常識の確かな方々は投稿の前には校正を徹底するのが当たり前で、自分のように書きっぱなしで即投稿というような、いい加減な者はいないだろう。そうとはいえ、いくつものトラブルのある文ではないかとの、危惧は常に抱いているのだ。
 
 そこで、時折考えることがある。そんなに修正が必要な文章を投稿し、人目にさらして平然としていられる俺は、何様かと・・・。
 そこでしばし沈思黙考するのだが、たいした反省は湧いて来ない。
 でも、虫のよい?言い訳なら言えそうになる。

 「仕方ないのだ、一回分の文章を書くだけで、もう力尽きるのだから、見直しの余力が無いのです、なんと言っても、もう数ヶ月で後期高齢者になろうという哀れな老人ですもので・・・・。
 見るデスプレイの文字は霞む、キーボードを打つ指は震えて間違いだらけ、集中力だってすぐに切れ切れとなるのですよ。
 それに己が駄文は戯言たわごとにすぎません。真面目にとりあうなど、間違ってもなされませんよう。小さな子が「てにをは」を間違えたとしても、目くじらを立てる方は少ないでしょう。小生のも幼児のことばに異ならないのであります、ですので・・・・、目に余る場合もございましょうが、数日間のご猶予をお願いします」と。

 そういうわけであります。
 故に、今後も気づき次第の字句訂正、及び内容の改変は、この愚録に置いては、発生しがちであります。
 一読して、イイネをポチッとして頂いたとしても、次に開くと中身がごそっと変わっていたということも起きます。
 そうした時は、どうぞ笑ってお許しのほどを。
 一度、このことはお詫び方々申し上げる所存でした。
 幸いネット上のブログであるので、ばかばかしいとか、ご不快とお感じの方は、此処に再び立ち寄ることはないでしょう。是非そうして頂くようお願いします。
  

冬の月見上げる人の顔に風

人の目をさほど気にせず冬菫