ため息俳句 40℃
毎日風呂につかることができるということは、平穏な暮らしを象徴することの一つであると思っている。
戦時下にある人々は、作戦中の兵士は言うに及ばず、市井にあった民間人も、身体を洗い、休み憩うことはできているだろうか。ガザ地区では電気も水も、インフラが遮断されていると報道されている。この頃は、ぱたりと戦況報道が消えてしまったウクライナでは、どうなのだろうか。
この夏、酷暑で知られる当地熊谷の今年8月中の最高気温は、39.1℃であった。全国的に見れば、小松市と伊達市で40℃を記録している。そうなのだ、気温40度というのは、大いなる猛暑日といえるのだ。体感では気温計の数値以上の暑さを感じものであるし、直射日光の下ではさらにことばにできないほどだ。そういう夏を今年は過ごしてきた。
その40℃を設定温度にして、風呂につかっている。
この温度が自分には心地よさの最適なのだ。
なんということであろうか。
40℃の炎天下では、目眩がすることもあったのだが、首まで湯につかっていると今度は睡魔がやってきてうっかりするとうとうと眠ってしまい、ひとつ間違えは溺れ死ぬかも知れない。
まったくなんということであろうか。
心地よく腑抜けになってゆく、・・・・、ちょっと後ろめたい感じがあるのはどうしてだろう。平穏なんていうのは、想像力の欠如であるとか、いうではないか。