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中学受験を控えた小6息子がたびたび行方不明になった「建設的な目的」とは

「がんばれ、がんばれ」と励まし続けることでも、「つらいなら、もうやめようか」と離脱を促すことでもなく、彼が求めていたのは、きっと・・・。

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「○○くん、来ていないんですけど、なにかありましたか?」

中学受験塾から私のケータイに電話があったのは、2019年11月、息子が小学校6年生の秋だった。

背筋が凍り付き、心臓がバクバク音を立て始めた。通勤電車の中で、私はいてもたってもいられなくなった。

「あの、まだ家に帰り着いていないので、帰ったらまた連絡します」

やっとの思いでそう告げて、電話を切った。

またか・・・。

塾に行っているはずの日に、行っていない。自宅にも、近所の公園にも、スーパーにも、息子の姿はない。

夫の海外出張中に起きた「息子行方不明事件」。これで何度目だろう。3度目? 4度目??

夜8時すぎに、息子はおずおずと自宅に帰ってきた。

「遅くなってごめん。途中でおなかが痛くなって、トイレにこもってた」

憔悴しきった私は、怒らずに、叱らずに、ただただ心配していたことだけを伝え、涙を流した。無事でよかった、と。

心配しているだろうとは思っていたけど、まさかママが泣くなんて、というふうに、息子はさらにおずおず、どぎまぎした。

塾がいやならやめてもいいし、受験がつらいなら無理にチャレンジしなくてもいい。幾度となく、そんな話をした。息子本人は、塾はいやではない、受験はしたい、と。

十分に話し合ったし、私は息子を信じている。そう思って送り出しても、再発する「行方不明事件」

私はとうとう耐えきれなくなり、会社を早退して通塾に付き添うことにした。このまま行方不明事件が続けば、私の寿命がいくらあっても足りない。

上司に事情を話して、早退の許可をいただいた。理解のある職場で、本当にありがたかった。

小6にもなって、塾の送迎なんて、息子にうざがられるかもしれないなぁと思っていたけど、さにあらず。迷惑そうでもうざそうでもなく、むしろちょっと嬉しそうに、息子は私の送り迎えを受け入れてくれた。そうして彼が行方不明になることは、なくなった。

でも、私はずーっと考えていた。なぜ、彼はいなくなったのか。どうして、何度も繰り返したのか。夫が海外出張に出ている間に事件が起きた理由はなんなのか。受験ストレス? プレッシャー? もちろんそれらも原因のひとつだろう。でも「これだ!」と思える答えに、私はたどりつけずにいた。

そんな折り、アドラー心理学を学ぶ仲間と「目的論」の話をしていて、ハッとした。

この事件を、「目的論」でとらえてみたら・・・?

アドラー心理学の「目的論」は、人の言動には建設的な目的が存在する、という考え方。一見ネガティブな言動でも、その裏には前向きな目的があるのだ。

小6息子がたびたび行方不明になった「建設的な目的」

それはズバリ、母親のことが大好きだから、だろう。

大好きな母親に、自分の状況を知ってほしい。塾がいやなわけでも、受験をやめたいわけでもない。でも今つらいんだということを知ってほしい。受験に寄り添ってほしい。そんな思いが、彼の中にあったのではないか。

そう考えると、夫が海外出張中に事件が起きたのも、説明がつく。父親にではなく、母親である私に、伝えたかったからだ。

「がんばれ、がんばれ」と励まし続けることでも、「つらいなら、もうやめようか」と離脱を促すことでもなく、彼が求めていたのは、きっと・・・。

「共感」

アドラー心理学では「相手の目で見て、相手の耳で聴き、相手の心で感じる」ことを「共感」という。私は、彼の目で見て、彼の耳で聴き、彼の心で感じることが十分にできていなかった。少なくとも彼はそう感じていた・・・のかもしれない。

彼の行動の「建設的な目的」を知り、彼が「共感」を求めていたことに気づいた私は、ようやく、ひとつの答えにたどり着いた。

子どもが受験でつらいとき、苦しいとき、「がんばってるね」とねぎらい、今つらいんだね、そうなんだね、とただただ受け止める。それこそが、受験生の親だった私がなすべき、もっとも大切なことのひとつだったのだ、ということに。

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