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中学受験を終えることができた日~ママ弁当のチカラを信じて~

「コロナ対策で食堂の座席数を半分に減らしていますので、できるだけお弁当持参でお願いします」と、息子が入学した私立中学からお知らせが届いたのは、登校スタートの数日前だった。

4月の入学式以降ずっと自宅学習、オンライン授業を続けていた学校が、7月からようやく毎日登校するスタイルになり、やっとやっと本当の意味での彼の中学生ライフが始まることに安堵する反面、お弁当かぁ、とちょっとゆううつになる働く母。

「うちは共働きなんだし、食堂で食べればいいんじゃない?」と言う夫。その発言に息子本人は「えー?」と不満そう。

私自身はというと・・・正直面倒だけど、ま、やらなきゃね、つーか、当然やるでしょ、という心持ちに。

なぜそう思ったかというと、お弁当を作ることで「キミのことを気にかけているよ、応援しているよ」というメッセージを送ることができる、と感じていたから。

この感覚は、彼が中学受験のために塾に通っていたあの頃に芽生えたものだった。

会社員で平日はフルタイム勤務の私は、息子が塾に行く前に家に帰り着くことはできなかった。なので、塾に持って行くお弁当は朝作って冷蔵庫に入れていた。週に3日とはいえ、朝のお弁当作りはなかなかに大変で、いつからか、「これでコンビニでなにか買ってって」とお金を渡すようになった。

しばらくの間は本人もコンビニライフを満喫していたのだけれど、おにぎりだけとか甘いパンと焼き鳥とかいうチョイスの日が多いことを知り、また再びお弁当を作る生活に戻した。

とはいえ、お料理が大の苦手な私の作るお弁当はバリエーションが乏しく、ほぼほぼ同じメニュー。夫から「たまには別のものを入れたら?」と言われるほどのマンネリぶり。それでも息子は「ママのお弁当がいい」と言って、毎回完食してきてくれた。これもう飽きたから別のおかずがいい、なんてことは一度も言わなかった。

そんな息子の様子を見ていて、「ママがお弁当を作ってくれる=受験勉強を応援してくれている」と彼が感じているような気がしてきたのだ。夕べの残り物でも、冷食満載でも、ママが作るお弁当にはそんなチカラがあるんじゃないか、そう感じるようになったのだ。

それ以来、私はママ弁当のチカラを信じるようになった。

★☆★

受験戦争をなんとか乗り越えて、新しい環境に飛び込むこの時期に、ママ弁当のチカラは必要不可欠なのではないか。そう感じたから、私は「やらなきゃね」というか「当然やるでしょ」という心持ちになったのだろう。

眠い目をこすりながら、マンネリ弁当を作ること2日。今日も完食。よしよし。とカラのお弁当箱を食洗機にセットしていると、

「明日、学食に行ってみる!」と息子くん。

翌日、感想を聞くと、

「いやー、おいしかったよ。あんなにおいしいとは思わなかった!」とご満悦。

続けて、

「あれなら、お昼、学食でいいわ」

かくして、「ママ弁当のチカラ」は登校開始後たった2日で、その役割を終えたのだった。

私の中学受験、これでやっと終わった。そんな気がした。いや、「終わった」のではなく、「終えることができた」のかもしれない。もうママ弁当のチカラがなくたって、息子は大きく羽ばたくことができるのだから。

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