今年のふりかえり(仕事編)~総務だって生きてるんだよ~

ある企業の総務担当である。
一名体制にして庶務含む、である。
これがちょっぴりというか結構厄介である。

同じ組織で人事や経理もやってきた自分にとって、各セクションへの従業員の眼差しが違うのは顕著に感じる。

人事は、給与から評価、家族構成に留まらず、内臓状態まですべて把握できるポジションな為か、従業員も「人事さんは何でもお見通しですもんね」みたいな気まずさとともに、「人事に下手なこと言ったらやべーぞ」みたいな感じで一目置かれている、気がする。

経理は、プロの会計屋さん、としてリスペクトされ、面倒な修正も「なんでこの細かい修正が必要なのかわかんないけど経理が言うなら仕方ないっすね」と、割と素直に従ってくれることが多い。

ところが総務というとどうだろう。
「電球切れてます」
「(自分宛の)郵便物届いたらすぐ下さい」
「早く契約書に押印してください」
「方眼ノートないですか」
「醤油ないですか」

・・・

年数がたち大きな仕事を任されていくようになり忙しくなると、そして自分自身も年数がたつ(オバサンになる)と、謙虚な気持ちが薄れ、時々湧き上がる、

「私がやんのかよ」と「知らねえわ」感。
従業員が働きやすい環境を提供するのが私の仕事なのに、ゴメンナサイ!

「紳士淑女をおもてなしする私たちもまた紳士淑女です」

リッツカールトンの言葉である。

一流ホテルマンではなく、中小企業のしがない総務担当の私だが、従業員をお客様(リッツカールトンの言うところの「紳士淑女」)に見立て、マインドを一流ホテルマンのように保つことで、もう何年も総務としての矜持を辛うじてキープしてきた。

でもいい加減自分が可哀そうになってきた次第。

管理系部門なのに毎日深夜残業。メインの総務業務で毎日深夜残業だというのに他部門のサポート。犠牲が使命、みたいになってきちゃって、忙しさのあまりほかのことも考えられず本来の自分が空っぽになっているように感じた、仕事ばかりの30代前半。

私だって私だって、時間があったら、美しい物語やおしゃれなエッセイ、毒舌コラム、等々たくさん読みたいんだ。映画やできればドラマもだ。美術展にだって有給取って見逃すことなく行きたいんだ。
友達とご飯や飲みに行きたいし、趣味の会合に顔を出したりもしたいし。一応まだいい恋愛もしたいって思ってるし。

てゆうかせっかく生きてるんだよ。
仕事は前向きに言うと充実している。
けどもっと喜怒哀楽使って毎日過ごしたい、って思うの欲張りなのかな。

そんな思いがむくむくと芽生えてきた2018年。
仕事を少しずつ手放してみることにした。
定型的な作業は外注化を進めた。
外注費が発生するので上席者を説得しながら手順書や注意事項をまとめ、外注先にぽいっ。

また、簡単な作業は各営業アシスタント側で引き取ってもらうことにした。丁寧に、下手に、自分の不遇を情に訴えて、アシスタントにぽいっ。

人事評価の時に言えるように、自分のもとにはコンスタントにハイパフォーマンスが実現しやすいものだけほんの一握り残しておけばいいのだ。

それに私は聖人じゃないので、やっぱり自分に余裕がないと、ほかの人に優しくできません。忙殺されてちゃだめだと思う。

ランチタイム、笑顔で醤油難民にマイ醤油を差し出せる私でありたいのだ。

今年から始めたこのプロジェクト、メンバーは私一人、来年も遂行していきます。紳士淑女をおもてなしする紳士淑女であるために、ね。

編集:円(えん)

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