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【映画レビュー】『哀れなるものたち』:フェミニズムを超えて恋愛の根源的矛盾を突きつける

 SNS上でいろんな人が絶賛しているけど、なかにはそうでもないという人もいたり、フェミニズム的な視点が貫かれているとか、主演のエマ・ストーンが体当たり演技で凄くてR18になっているとか、とにかく話題になっていた。でも結局どんな映画なのか、よくわからない。そういう映画こそ自分で観る価値があるのでは、これはとにかく観てみなくてはと思って、映画館に足を運んだ。 


観る人によって受け取るものが異なる作品

 全体を貫いているのは、赤ちゃんの脳を移植された大人の女性が、子どもが大人になっていくように成長していくというストーリーである。
 彼女は最初、赤ちゃんの脳と大人の体というアンバランスな矛盾を抱えている。ありあまる性欲と、偏見も固定観念もない無垢さといった、対立した衝動を自らの中に抱え持っている。
 そんな彼女の人生に、マッド・サイエンティストである生みの親、女を手玉に取ろうとする男、娼館での売春といったさまざまな欲望が襲い掛かってくる。
 しかし彼女は、成長とともに、それらをはねのけて自立していく……
 言葉にすると、なんだかつまらないかもしれないが、映像を通して、本当にいろんなメッセージを受け取ることができる作品である。どう受け取るかは、おそらく見る人によってそれぞれ違う。だから、見た後に語りたくなる。そう、語り合える映画なのだ。
 では私はこの映画から何を受け取ったか!?

フェミニズムの視点を超えていく

 主人公の女性ベラは、赤ちゃんの脳を移植され、無知で無垢の精神と、大人の性的欲望を孕んだ肉体を持つ。
 最初はそこを女たらしの男性に付け込まれ、性的な対象となり、自分のモノのように扱われ、支配される人間となる。ベラの精神は赤ちゃんだから、それに対して何ら抵抗することはない。
 しかし、街や社会でいろいろなものを見聞きし、世界を知っていくにつれ、ベラに自我が生まれ、自分のしたいことをするようになる。
 そうなると、男の手中には納まりきらなくなる。思うようにはならず、男は翻弄されていく。支配するどころか、逆に、飛び立ってしまいそうなベラを何とか自分の手元に置きたく、哀れにもすがりつく。
 確かにこの流れは、女性が男性の支配から自由になっていく、フェミニズム的の文脈でとらえることができる。
 だが、私は、これはもう男女というジェンダーの枠にはとどまらないと思う。フェミニズムという議論の枠組みを超えて、もっと根源的に、人間の恋や愛というものが抱える矛盾を突き付けてくるように感じた。

恋愛が根源的に抱える独占欲という矛盾

 人間は、誰かを好きになると、自分のことを一番に考えてほしいと思うようになる。そして、独占したくなる。それは支配とは違うかもしれないが、多かれ少なかれ自分のもとに縛り付けたくなる。
 逆に言うと、独占しなくても平気だとしたら、それは、知人・友人・仲良しの範疇である。恋か友情か、その線引きは、独占欲があるのかどうかではないかと思う。
 つまり、人間の愛や恋は、独占というものと切り離せないのだ。というか、独占欲・支配欲に駆られるものを、恋や愛と呼ぶのだ。
 しかし、人間が人間を独占したり支配したりすることは、男女にかかわらず、相手の自立や自由を制限することになる。それは、人間の尊厳を破る。
 人間は自由であるべきだとすると、いつどんなきっかけて、相手が消えていっても裏切っても、文句は言えない。映画でベラにすがりついた男のように、必死にとどめようとすがりついても、ダメなものはダメなのだ。
 だから人間は、婚姻制度や、恋人という枠組みを作って、強制的に相手を独占することを維持しようとする。第一位にいる責任を負わせる。そして安心感や保証を得るわけだ。
 でもそれは、相手の自由を奪うことを正当化しているだけとも言える。そもそも恋や愛というものは、人間の自由や尊厳とは対立するものなのだ。矛盾を抱えた衝動なのだ。
 これはおそらく人間だけが抱えていて、動物にはない矛盾である。だから、この映画は、フェミニズムを超えて、人間という存在が持つ根源的な問題を提示していると私は感じたのだ。

マッド・サイエンティストは支配しなかった

 そもそも、ベラに赤ちゃんの脳を移植したのは、ゴッドと呼ばれるマッド・サイエンティストだ。とんでもない、むちゃくちゃな行為だ。科学的な興味のためには、人体実験も厭わない、とんでもないやつである。
 しかし、ゴッドは、ベラを支配することを拒否した。女たらしの男に連れていかれるとわかっていても、手を放して自由にさせた。苦しかったはずだ。ゴッドもベラを愛しており、支配欲にさいなまれたはずだ。それでもそうしなかった。それによってベラに隷属から自立への道が開かれた。
 ゴッドの行動は、正と悪の矛盾をはらんだ理解しがたいものだ。しかしそれが何とも割り切れない複雑さを醸し出し、映画の魅力になっている。
 ゴッドの助手で、ベラの婚約者でありながら、なにもできずに指をくわえてばかりで傍観者でしかいられない勇気のない男、そしてゴッドとベラ。この3人の関係が、見事な絡み合いを見せて、映画をひと筋縄ではいかないものに高めている。
 そして、観た者に、この映画について語りたくなる衝動を与える。それで私も今こうして語っているのである。


 この映画はR18に指定されていることも話題になっていました。私はエロの要素はまったく感じませんでした。色気も感じません。裸体は頻繁に画面に映し出されるし、セックスシーンもたくさんあるのですが、生々しさがありません。そういう文脈では語ることはできない作品だと思いました。

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