見出し画像

自分の気持ちを正直に書くこと

義理の父から電話がきた。
端々に棘がある言い方で一方的に話をされ、ガチャンと切られた。

初めは、驚きとショックでボー然とした。
やがて、その電話のことを繰り返し心の中で反芻するようになった。
心の中がぐちゃぐちゃして、目頭が熱くなる。


心理士さんにちょっとちょっとと、話を聞いてもらう。

友人や知り合いに愚痴ると、大抵はそのやりとりの中身が話の中心になる。
どんなことを言った言われた。
それは酷いとか、うちの場合はねえとか。

心理士さんの場合は、もう少し客観的だ。
他人は変えられない。ではそのストレスをどう解消するか。

「美味しいものを食べて寝るとかではダメですよね」
そんなんで解消できるなら病気になんてなっていない。

「相手の方の言葉に表れていないところを読めると良いですよね」
そうねえ。言葉を丸ごと受け取るのはきっと違うんだよね。

「正直に気持ちをぶつけてみたことはありますか?」
問われて、即座に否定した。
「そんなこと出来るわけがない」

ネガティブな感情をぶつけろというの?
喧嘩になるんじゃないのか?

色々な想いが一瞬で頭の中に浮かんできた。
そして思った。


「そういえば、私の現状をちゃんと伝えていないのかも」


100%怒りでいっぱいにならなかったのは、相手にも事情があると思えたからで、きっとどこかでその事情を聞いたからだ。

彼は今、認知症の症状が現れ始めた奥さんの介護をしている。
色々ストレスが溜まっているんだろう。
もっと気にかけて、あれこれ手伝うべきなんだろうなと思う。
何のサポートもできていないという負い目が、私の心にずっとある。

でも、正直、今は私は自分のことで手一杯で。
ならば、こちらの事情もきちんと説明すれば良いのだ。

手紙を書いてみることにした。
気をつけたのは、「自分の気持ちに嘘はつかないこと」。

意識しないと必要以上にへりくだってしまう。
口先だけの相手を気にかけているような言葉を、枕言葉のように使っている自分に気づく。

自分の気持ちを正直に書くというのは思いの外難しかった。
いつの間に、鎧をつけたような文章しか書かなくなっていたのだ。

何とか手紙を書き終えた頃には、随分と気持ちが整頓されていて、伝えるかどうかは別問題のような気がしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?