みずいろ

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最近の記事

「うつ病って治るんですか」問題

以前、主治医に「私のうつは治るのか」と質問したことがあります。 主治医からは、「治るとは、具体的にどういう状態を言ってます?」と逆質問を受けました。 事実はそれだけなのですが、私の頭の中では勝手に思考が追加されました。 認知行動療法でいう自動思考ってやつです。 「あ、治らないから、そんな遠回しの言い方をするんだ...。」 「私のうつは、そんなに重いんだ...。」 そして、それ以上に突っ込んで質問せずに会話を終わらせた記憶があります。 ✳︎ 一般論として、うつは治る

    • リワークに通い始めました

      なぜ通い始めたのかうつ病で内に引きこもっていた時期もありましたが、精神科デイケアで生活習慣を整えて、地域活動支援センターで日中座って作業するだけの体力と集中力を取り戻せました。 次のステップは、自分の取り扱い方や自分に合ったストレス対処法を模索すること。 福祉サービスの1つである、就労移行支援を活用することにしました。 モヤモヤする気持ちを言語化したり、アサーションや認知行動療法を学んだりする予定です。 「仕事をしたい」「就職したい」という強い思いがあるというよりは、「

      • 時給150円

        気がつけば、障害者手帳を取得してから半年が経過しました。 なんだかんだありながらも、地域活動支援センターに通っています。 単純作業をして、時給150円。 安いですよね。アルバイトやパートでは、最低賃金が守られてますが、そういう理屈が通じない場所が日本に存在することにびっくりします。 「雇用契約を結んでいないから、最低賃金という概念からは外れる」という理論で語られています。 健康な公務員の夫は、残業代で時給3000円。 「今日も稼いでくるよー」と元気に出勤していきました

        • 焦らず、ゆっくり、朗らかに。自分が楽しめることが大事。

        「うつ病って治るんですか」問題

          考えても変わらないことは考えない。今やれることを精一杯やる。

          考えても変わらないことは考えない。今やれることを精一杯やる。

          ストレスサイン

          デイケアを卒業し、地域活動センターへ。ゆくゆくはオープン就労をと考えていましたが、そんなに簡単ではありませんでした。 地域活動センターに行くと、「ワケもなく涙が出る」という症状が出てきたのです。 新しい場所や人に慣れようと、無意識に気を張っていたのかもしれません。 何度か早退し、現在はお休み中。 症状は、ストレスサインと言い換えることができるそうです。 書き出してみると、私の場合、以下のようなものがありました。 レベル1. ・1つのことをグルグル考えて止まらなくなる

          ストレスサイン

          自分の機嫌をとる

          今日は、好きなことを沢山しました。 秋物の洋服を買って、かぼちゃサラダを作って、図書館でゆったり雑誌をみて。 かぼちゃサラダは、アイラップを使ってレンチンしてつぶしました。 洗い物がほとんどでない、ズボラ料理。この方法で今度はかぼちゃスープも作りたいな。 図書館では、『リンネル』を読みました。 全体的に色味が優しいので、疲れずに読めます。記事の内容もナチュラル系で癒されます。 他に『暮らしの手帖』『MOE』とかも好き。 その雑誌の世界観にひたるのが楽しい。 ストレ

          自分の機嫌をとる

          地域活動支援センターに行ってみた

          精神科デイケアを居場所にしていましたが、物足りなく感じるようになりました。 それは別にデイケアが悪いわけではなく、私が少しづつ社会のリズムに慣れてきたっていうこと。 生活リズムも整ってきたし、そろそろ次のステップに進んで良いというサインだと前向きに捉えることにしました。 デイケアに通いはじめたときの話↓ そこで、次に足を踏み入れたのは、地域活動支援センターです。 役場の福祉課で問い合わせると、面談を経て通所することができました。 自治体によって内容も雰囲気も随分異

          地域活動支援センターに行ってみた

          いつも行ってる精神科や心療内科で何話す?問題

          医師「調子はどうですか?」 私「変わらないです(「しんどいです」「調子良いです」バージョンもあり) 医師「そうですか。では様子を見て、また何かあったら教えてくださいね」 私「はい」 おわり。 これが毎回の診察の流れ。 5分診療どころじゃありません。 いや、短すぎでしょ! 何のために頑張ってここまで来たの〜!っと毎回思っていました。 それが、ここ最近やっとまともに医師と会話ができるようになりました。 現状を話して、それについてアドバイスなり感想なりがもらえるという会話。

          いつも行ってる精神科や心療内科で何話す?問題

          精神科デイケアがつまらない

          最近、デイケアに行っても、「何のためにやるのだろう、、、」と虚しく感じることが多い。 私が通っているところはリワーク的なところではなく、安全で安心できる居場所的な側面が強い。 なので、プログラムは一応あるけれど、その内容はかなりゆるい。 例えば *音楽鑑賞 用意されたCDから1人2曲聴きたい曲を選択→皆んなで聴く *ティータイム 用意されたティーパックから飲みたいお茶を一杯選択→黙々と飲む *脳トレ 用意されたプリント類(塗り絵、小4程度の漢字や計算問題など)からや

          精神科デイケアがつまらない

          銅像と排泄

          駅前広場に銅像が設置されているというのは珍しいものではない。中には、その地域で有名な人物やキャラクターなど、楽しめるものもある。 しかし、私が毎日目にする銅像は地元の彫刻家が作ったらしい裸婦像。 ポーズを真似して楽しめるほどの奇抜さもなく、待ち合わせに使われるほどの好立地でもない。 ゆえに通りすがりの人にチラ見されるだけの存在だ。少なくとも私の中ではそういう存在だった。 しかし、これを見るのをとても楽しみにしている人々がいたのだ。 0〜2才という乳幼児さんたち。 保育

          銅像と排泄

          納得の仕方

          作家・凪良ゆうさんの『滅びの前のシャングリラ』の中で印象的だった言葉。 この小説自体は地球滅亡の日を前にした人生劇場なんだけれど、うつと共に生きている私としては、1ヶ月後に自分はいないかもしれないという世界は妙な親近感を覚えました。 人と主張が異なったときに落とし所を探るように、理想と現実にギャップがあるとき、自分なりの落とし所を見つけることは生き延びるための方法としては有効のような気がしました。 理想と現実しかり 絶望と希望しかり。 って、それが難しいんですけどね。

          納得の仕方

          自転車散歩

          夕方、土手の上の緑道を散歩感覚で自転車で気ままに走ることにハマっています。 ちょうど一駅分、ひたすらまっすぐに緑の中で自転車を漕ぐと、頭の中がクリアになります。 昼間よりは少しだけ暑さが和らいで、犬の散歩をする人やランニングをする人にたまにすれ違うくらい。 誰もいない時を見計らって、大声で歌ったり。 今日は猫がのんびりしているのに出くわしたので、写真を撮りました。

          自転車散歩

          自分の気持ちを正直に書くこと

          義理の父から電話がきた。 端々に棘がある言い方で一方的に話をされ、ガチャンと切られた。 初めは、驚きとショックでボー然とした。 やがて、その電話のことを繰り返し心の中で反芻するようになった。 心の中がぐちゃぐちゃして、目頭が熱くなる。 心理士さんにちょっとちょっとと、話を聞いてもらう。 友人や知り合いに愚痴ると、大抵はそのやりとりの中身が話の中心になる。 どんなことを言った言われた。 それは酷いとか、うちの場合はねえとか。 心理士さんの場合は、もう少し客観的だ。 他人

          自分の気持ちを正直に書くこと

          障がい者になった日

          申請していた障害者手帳が届いた。 これで色々な支援が受けやすくなる。 と、簡単には割り切れない。 良くも悪くも「障害者」という括りに入ったんだなあとシミジミする。 差別するつもりは無いけれど、自分自身がそうなるとは思ってもみなかったので、まだ何か不思議。変な感じ。 え?ドッキリとかじゃないんだよね?という感覚。 いや、もしかしたら小さな差別意識はあったのかも。 え?私が障害者?そんな風に見える?みたいな。 カフカの『変身』を思い出す。 ある日の朝、目が覚めると毒虫

          障がい者になった日

          祭り

          太鼓の音が体の奥まで響いてくる お爺さんとお婆さんが大声で唄い 子ども達が踊っている 浴衣姿のお姉さんも踊っている 赤い顔をしたおじさんが出鱈目な踊りも許されている よさこいに跳ねる踊り子たち 気球が上昇する 雨が降ってきても 花火はあがるようだ 今だけは誰もが平等だと思う ひとときの錯覚