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「追憶のライラック」で見上げた空は、きっとこんな色

東京スカパラダイスオーケストラのトリビュートアルバム「楽園十三景」。
この作品に収録されている、ACIDMANによる「追憶のライラック」を聴きながら、この曲の主人公が見ている空は、きっとなんということない、晴れた休日の朝なのではないかと思う。

「追憶のライラック」は、「寂しいときだけそばにいてくれ」というワガママに応えてくれた彼女への想いをしまいこんでいた「僕」が、当時のことに向き合おうとしている曲です。

もし付き合うことができなくても、大切な人に「そばにいて」と求めてもらえるなら嬉しい、と思う身としては、のちに自分のことを思い出して涙を流してくれるのは、ある種の救いだと思うのです。
ただ、その涙が「彼女」に届くことはないということ、ふたりの関係性は、彼の涙とともに変化することはないということ、それがとても悲しく切ない。

その気持ちに、ACIDMANのアレンジと、大木さんの歌声がこわいくらいに重なり合う。余白感のあるアコースティックサウンドが基調となっていますが、その余白感の部分が、この曲に出てくる「風」なのだと思う。しかも、最初から最後まで淡々と進んでくれないのがACIDMANなので、終盤でエレキギターなどが加わるドラマティックなアレンジに変わります。そこには、歌詞にない「僕」の後悔とか、感謝とか、決意とかが渦巻いているように感じます。

なぜ「僕」が出かけた日の空が、晴れた日と思ったのかというと、
「出かけてみた」という言葉があったから。

当時の思い出と、試しに出かけてみる。
そこには「長いこと考えないようにしていたけれど、もしかしたら自分の中で、すでに気持ちの整理がついているかもしれない」という期待。
そして、気持ちに余裕があって、まっさらな気持ちになれていて、晴れていて気分がいい「今なら、落ち込むことなく当時と向き合って、サヨナラができる気がする」と思ったのではないでしょうか。

もし夕方に出かけたとするなら、または、雨の日だったらなら、そのときの心情は「ちゃんと向き合わなければ」に変わると思うんです。けれど、彼には、そういう向き合い方はできません。できているなら、とっくに当時の思い出とサヨナラができているはずだから。

気持ちの整理をつけたいけれど、真摯に向き合える強さはない。だから、晴れの天気に賭けたのです。こういう日なら、明るく過去と決別できるだろうと。

しかし、現実はそんなに甘くない。
彼の彼女への気持ちは、そんなに軽いものではなかった。だから、涙がでたのだと思うのです。彼はこのあとどうするのでしょうね。

▼試聴はこちら(Spotify)

▼トリビュートアルバム「楽園十三景」特設サイト
https://tokyoska-rakuen.com/

▼写真素材はこちらでお借りしました
https://unsplash.com/

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