見出し画像

奔波の先に〜馨と博文〜特別編 井上式料理を食す

先日 たなか〰る先生の「川棚温泉で井上式料理を食べる」イベントに行ってきました
さて、井上馨とは
 明治の元勲、元老であり、財界にも多大な影響力を持った人物です。伊藤博文の盟友としても有名です。くわしくは、本編をお読みくださいm(_ _)m
 この井上馨、料理好きで有名です。家に来た客や宴席において、自分の作った料理でもてなすのが好きですが、大きな問題がありました。
 独特すぎるレシピ、味付けや食材の組み合わせに、ついていける人がほとんどいないのです。そのためどうやってやり過ごすか、うまく断るか、食べない理由を考えるかと、政財界の大物が頭をひねることになります。昼食時に行かないとか、もうお腹いっぱいとか。世話好きの馨はそれを許さないんですが。
 それでも、近代数寄者の魁である井上馨のお茶会は、書画骨董にはまった人たちには欠かせない場所でもありました。そのため、この変わったレシピはお茶会の記録として残り、世外井上公伝でも紹介されて、今に至っています。

井上式料理 お献立とその感想


食前酒 らっきょ酢と甘酒のカクテル

 井上馨の料理といえば、これ!というくらい知る人ぞ知るメニューです。
らっきょ酢を使うのは、井上式料理が米酢を使わずに果実酢を使うのがルールであるからとも言われてます。
 このらっきょ酢と甘酒の配合がポイントで、普通に作ると甘酒の甘さとらっきょ酢のくさみとで、なんとも言えない後味になり飲めるものではないらしいです。料理長さんの絶妙な配合で無事いただけるようになりました。もっとも甘酒も新生獺祭甘酒を使っているので、こちらも重要な要素なのかもしれないです。

前菜 三種盛り 落花生豆腐 琵琶玉子 冬瓜含め煮

写真のキャプションは右からです
 落花生豆腐は、沖縄料理にもあったかと思います。味は違和感がなかったので似ているような気がします。当時まだ珍しいものでもあったので使ったということです。
 琵琶玉子は温泉卵の要領で茹でた卵の黄身を味噌漬けにして、形を琵琶に見立てたものとのことです。結構濃厚で、多分この会席料理の中で一番味付けが濃い気がしました。お陰でお酒を追加で頼むことになりました。
 冬瓜の含め煮は今回のレシピで重要な井上式料理の基本の出汁で炊いたものです。繊細な味で、驚きました。

向付 カンパチのへぎ造り 浜防風 紫蘇 山葵

 参考にした明治45年のお茶会では、鯖だったそうですが、旬でないということでカンパチになったそうです。
 井上馨の料理において、重要なものの一つにお醤油があります。お醤油は地域によって製法や味が違うのは知られています。その中で、関東の濃口醤油はお好みに合わなかったそうで、紀州の薄口醤油を取り寄せて使っていました。

焼物 甘鯛塩麹焼き 山陰産甘鯛 酢取茗荷 岩国産新蓮根甘夏和え

 甘鯛の焼物は複数回出されていて、甘鯛の麹漬だったり甘鯛甘酒漬が会ったそうです。甘鯛の甘酒漬けは料理長さんから却下されて、塩麹焼きになったというお話もありました。ただ、甘鯛は興津の名物と関連があったり、甘酒は静岡の吉原宿の名物の白酒からインスピレーションを得たとも推察されると説明もありました。別邸を置いた興津の静岡の特産品を意識していたかもしれないとのことです。
 蓮根の甘夏あえは、本来なら蓮根の酢漬けになるのでしょうか。しかし米酢を使わないルールもあり、萩の名産夏みかんを意識して、お酢の代わりに甘酢をからめた品となったそうです。

台の物 とらふくしゃぶしゃぶ とらふく 豆苗 糸人参 椎茸 
しゃぶしゃぶのポン酢
ふくをしゃぶしゃぶ

 さぁ、せっかく下関に来たのだからふぐじゃぁと思いますが、今回はお刺し身でなくしゃぶしゃぶで。伊藤博文の好物として有名ですが、井上馨もしゃぶしゃぶで食べたとの逸話が残っています。「の」の字だったり「し」の字の形でしゃぶしゃぶしていたようです。
 ふぐの毒は加熱でなくなると思われていたこともあって、湯通しする時間を短く食べるのを意識したとも。井上馨は「の」だったことが証言されています。ちなみに高杉晋作と山縣有朋は河豚を食べずに鯛を食べていました。

蒸し物 南瓜ひき肉蒸し 長州黒かしわ 南瓜 銀杏 木の芽

 世外井上公伝にあった「南瓜の潰肉蒸」からのメニューだそうです。あっさりとした出汁と、鶏肉のひき肉の甘みと南瓜の甘みとを引き立てて美味しかったです。
 ここでは、井上馨の素材へのこだわりの一つとして、「白瓜」を使いたかったが季節が早く手に入れるのに困難をきたしたところ、大隈重信の園芸部(メロンなどの栽培をしていた)で手に入ると聞いて、値段を気にせずに手に入れた話が披露されていました。この話、大隈重信に話をせずに、担当者と交渉したところが面白いんですよね。
 不思議な素材といえば、「蘭の花」ですが、弟子筋に当たる益田孝もお茶会に使っていました。また先達の料理法を使った品と言う記載があって、これは井上馨の料理法を使ったという話が、益田孝の本で紹介されていて、ちょっと笑ってしまいました。


揚げ物 車海老磯辺揚げ 車海老 海苔 獅子唐

「車海老の天ぷら」これは説明の必要はないでしょう。ただ美味しかったです。
 このターンでは当時の洋食事情もお話がありました。簡単な洋食として、フライが紹介されていました。淡白な白身の魚が合うということ、カキフライが西洋人に人気だったことということでした。みんな大好きカキフライは結構歴史があったということです。
 井上馨の好物として「数の子」があったと紹介されていました。これは、井上馨が北海道視察をした際に、地元の漁師から話を聞いたことがきっかけで、色々改革をすることになりました。それからその漁師さんが送ってくるようになったのが、数の子だったのです。産地直送品ならば美味しいはずですね。

 お食事 干し貝柱の炊込み 干し貝柱 鯛 黒胡椒
           香の物 井上式沢庵 四葉胡瓜                   
             留 椀 玉蜀黍豆腐とオクラ澄まし汁                 水菓子 枇杷                   

 これはなんだろうという物を出すのが好きだった、という話も紹介されていました。先に出ていた落花生豆腐もその一つだったらしいですが、この玉蜀黍(とうもろこし)豆腐は正にその一品でした。お汁の澄んだ出汁の味とともに正に食べたことのない味でした。
 鯛と干し貝柱の炊き込みご飯も、それこそ出汁の味がしみていて美味しかったです。枇杷は自分にとって初物でとても嬉しかったです、
 さて、みんな大好き井上式沢庵は、伊藤博文なんか表立って貰うのが忍びなくなったのか、台所に顔を出してもらっていったとの話が残っています。 
 大正天皇は皇太子時代に興津の別邸に行かれた時、感激して、あれが食べたいから教わってこいと言って料理人を送ったという話もあります。もっとも何だったのか最初は分からず、色々聞いて沢庵だったとわかったということで、いわゆるごちそうだけでなく、きちんと料理されたものも素材によらずご馳走だという考えがあったという話があるそうです。                


川棚饅頭と薄茶

 ここまでで、お食事が終わると、茶道にも造詣に深かった人物でもあるということで、薄茶と地元の銘菓川棚饅頭でしめということになりました。
 お茶会の時のお菓子の話も。大正2年の金沢の客人を招いての茶会が紹介されていました。これは、前年金沢に骨董品を見る旅をしたときに、お世話になった人たちを招いたお茶会です。柿を取り揃えた秋色尽くしの道具立ては、井上馨の集大成とも言えるものでした。

 今回のメニューは「井上式料理を現代風にアレンジ」ということで、復元されたものというわけではないのがポイントです。汁は静謐でとても美味しいものでした。食べた人の話では、甘ったるい切り干し大根の汁がとかあったので、そういう部分を排除してのものだと思います。あまりにも雑味がないので、東国民で濃口醤油のお膝元、ほとんどの人が社会科見学で醤油会社に行っているお土地柄の出身なので、お醤油味が恋しくなってしまったくらいです。食べた人の感想のもう一つ、味があまりしないには賛成ということになりそうです。
 ということで、井上式料理から甘みを除くと、かなり美味しい料理なるのではという結論がでてきそうです。


川棚温泉 青龍泉 板額

 世外の名のある井上馨書の扁額を写した板額を、街歩きの際に見せていただけました。川棚温泉に湯治に来た井上馨が、土地の伝説を聞いて、下湯と言われていた浴場を青龍泉と名付けて書にした扁額をもとにしたものです。扁額の方は状態が悪くて、持ち出せなかったということですが、こちらを見ることができてもう満足です。

 今回会場になった「川棚温泉グランドホテルお多福」さんには温泉まで入らせていただき、送迎も含めてとてもお世話になりました。今度は是非宿泊したいと思っています。(いつになるかわかりませんけど)
 川棚温泉まち歩きとホテルに戻っての資料解説をしていただいた、村上さんのお話もとても楽しかったです。ブラタモリってこういう感じだったんだと思ってしまいました。
 そして企画・説明をしてくださったたなかる先生お疲れ様でした。またの機会を楽しみに待っています。


サポートいただきますと、資料の購入、取材に費やす費用の足しに致します。 よりよい作品作りにご協力ください