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【小説】奔波の先に 〜聞多と俊輔〜#22

異国(3)

 聞多がまず気がついた。船の揺れが大きくなっている。
「うーん船が揺れだしているな。浦賀水道から、外海に出たのではないか。ならば甲板に出ても良い頃合いでは」
「弥吉、外の様子見にいってくれんか」
「勝手なこと言ってくれますな」

 そんなこんなことをしていると、乗組員がきて外に出ろと言っているようだった。言われたとおりついていくと甲板に出てきた。潮風が心地よい。

「そういえば航路を聞いておくんじゃったな」
 聞多が誰にというわけでもなく言った。
「瀬戸内周りなら馬関を通るじゃろ」
 故郷に一番近づいてができる。海峡を通るのなら、目と鼻の先になる。
「北かもしれんですよ」
 弥吉が声を上げた。
「長崎・対馬かもしれん」
 山尾もつられて言った。
「なんじゃ皆寂しいこと言うのう」
「もう国が恋しくなった聞多さんに乾杯」
「弥吉酒持ってきたのか」
「小さいひょうたんひとつだけですよ」
「それじゃ、さびしがりのわしの寂しい話じゃ。今宵より志道聞多あらため井上聞多じゃ」
「聞多さんそれは」
「養子縁組の離縁を申し出る文を送った」
「それで身軽になってしもうた」
「いや遊びたい放題できるようになっちょった、の間違いじゃないですか」
「あぁ皆言いたい放題じゃの。まぁええ」

 騒いで疲れると、割り当てられた部屋に通してもらった。船倉に近い2段ベッドが3台置かれた狭い部屋だった。なんとなく遠藤が一人で、聞多と俊輔、弥吉と山尾と言う風に寝床についた。皆が緊張と興奮で寝付けない。しかも揺れる。とりあえず目をつぶっているといつの間にか寝ていて朝になった。外に出ると外海の中だった。

「聞多さんの希望通りじゃなかったようじゃ」
「対馬だのう」
「4、5日位じゃよ上海までは」
「高杉に聞いちょった。エゲレスのことは、杉に聞いとったけどようわからん」

 そんな風にワイワイガヤガヤ騒いでいるうちに、まもなく上海という所まで来た。上海の港につけようというときに、皆で甲板に出てきた。

「すごいのう。大きな船は軍艦かのう。蒸気船、黒船もいっぱい居る。こんなんに立ち向かうなんて、我らは小さい物で世の中を解っちょらん存在だと思わんか。異国の力に、今の我らの力で立ち向かうのは、所詮無理なことだと思わんか」

 この光景だ。これを見て、我らの小ささを感じられんものはいないだろう。聞多はこんな機会はないと思った。攘夷なんで無謀だと言える時だ。

「聞多、なに気弱になっちょる」
 俊輔は聞多の言う事に同調できずにいた。圧倒されて、弱気になってどうすると。
「俊輔か、即時攘夷なんて無理じゃろう。それより、やっぱり開国して金を稼いで、こんな船たくさん作れるようになったほうが、ええと思わんか。攘夷なんて子供だましの夢じゃ」
 これだ、即時なんて愚かなことだ。そんなことよりも彼らの力を学ぶ方が賢いのだ。俊輔にはわかってほしかったのだ。
「聞多。焼き討ちから半年、国を出て5日、そんな簡単に変わるんは変じゃ。いくらなんでもそんな志、軽すぎだろう」
 俊輔は聞多の言動に多少呆れが入っていたようだった。
「俊輔は分かりが悪いのう」
「はぁ、そげな軽い聞多のほうがおかしいんじゃ」
 俊輔と聞多に微妙な空気が流れていたが、他の三人は放っておくことにした。

 上海に着くと、商会の支店に連れて行かれた。

 そのあと支店長のケスウィックという人物に会い、ガワーからの手紙を渡して、事情を理解してもらった。ケスウィックは話しかけてくるが、あちらに日本語のわかる人がいない。
 必然、弥吉の語学力に頼ることになった。だが多少単語が聞き取れるレベルでは危うかったのも事実だ。なんとか意味をつなげて、この旅の目的らしいことを聞いてきているとわかった。

 聞多がブツブツと「海軍、ネイビー、航海術、ナビゲーション、どっちがどっちだったかな」とつぶやいた。そして今度ははっきりと言ったのが「ナビゲーション、じゃ」だった。

 ケスウィックはOK、OKというとそれで終わりになった。5人は商会の用意した宿舎でロンドン行きの船を待つことになった。聞多は上海についたときの驚きを誰かに伝えたくなった。

 西洋諸国の船の凄さ、国力の豊かさ、これで攘夷なんて言っている場合ではないこと、国を開き貿易を行い、技術を導入して国を富ませる以外の方法はないと思った。それを書いて周布に送った。


 聞多と俊輔は先に出るペガサス号に乗ってロンドンに向かった。この船で二人はどういう訳か、水夫の扱いをされることになった。

 流石におかしいと思ったものの、言葉がわからないという重大な問題は聞多ですら、沈黙をせざるえない立場に陥ってしまった。それだけでなくどう見ても軽く見られている。こういう時言葉はよくわからなくても、悪口はなぜかわかってしまうことがある。聞多と俊輔も船員たちに侮蔑の言葉を言われている事に気がついていた。

 航海の間は下級の船員のやるような、帆の上げ下げといった肉体労働や掃除など、いろいろな仕事をやらされた。食事は乾いたビスケットや塩漬け肉ばかりで食べることにも飽きてくる。

 単調な日々と星空の元の語らいとは言っても、酒と女の話ばかりになってしまっていた。疲労した頭で話せることなんてそんなものだ。
 その上無寄港なので、変化に乏しい日々を過ごすことになり、先の見えない辛さがしみてきた。


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