見出し画像

【小説】奔波の先に 〜聞多と俊輔〜#20

異国(1)

 山尾を先に江戸に向かわせて、野村弥吉と聞多は江戸に向かった。今回はもう多少遊びながらになってしまったので、途中京に来ていた桂に追加の路銀もねだる始末だった。

「弥吉がこんな大酒飲みとは知らんかったぞ」
「聞多さんは、さすが遊びなれちょりますな」
「絶対600両あっても異国に行くのは足りんだろう。焼け石に水な気がするんじゃ。使ってもええじゃろう、今のうちに遊ばな損じゃ」
「伊藤や山尾に呆れられますよ。とりあえずは急ぎましょう」
「ははは、そうじゃな。急ぐか」

 ようやく品川について、聞多、弥吉、俊輔、山尾といつものように土蔵相模に集まった。

「そうじゃ山尾、伊豆倉あたりの話はどうじゃ」
「それが、ジャーディン・マセソン商会の者と英国領事と会いました」
「すごいじゃないか」
 聞多は感嘆を隠せなかった。しかし山尾は力なく言った。
「それが費用のことですが」
「いくら掛かるんじゃ」
 聞多が聞いた。
「一人一年1000両ぐらいだと言うんです」
「本当に5人なら5000両か。どうやって引き出させるかですね、聞多さん」
 弥吉がつづけて言った。
「誰に言うかだなぁ」
「しかも、商会の話だと横浜を出る船は、期日がそう日がないと言うのです。その後はしばらくないと」
「明日にもその商会に行ってみるかのう」
 聞多が考えながら聞いた。
「あぁ山尾、遠藤はどうなっちょるか」
「大丈夫ですよ。兄上のお力も借りられるとのことです」
「ようし、5人で行く」

 翌朝4人はまず英国領事に会うことにした。
「わしら5人でエゲレスに行くことを、援助していただけるとは、誠にありがたい」

 聞多は代表して挨拶をした。いろいろ出国の方法や身の回りのことなど聞いて、一番肝心な費用と日取りのことになると、皆深刻さを隠せなくなっていた。

「わかった、武士の一念じゃ。この刀にかけても5000両を用意する。出航の準備よろしく頼む」
 聞多は費用捻出のため腹を決めた。

 英国領事のところを後にすると、おもむろに俊輔に聞いた。
「そういえば俊輔お主の役目、銃器の購入じゃったな。いくら預かった?」
「1万両です。銃器の購入は出物がなく棚上げ状態になっちょります」
「そうか、その金使えるな」
「まってください。勝手に使ったら横領ですよ」
 俊輔は慌てて言った。
「緊急事態じゃ。誰になにが起こるかわからん」
 山尾は、不思議な緊張感を持っていた。
「目が怖いんじゃが。何を企んでおるのかの」
 俊輔は嫌な感じを、山尾にぶつけていた。
「まさか、仲間を売るなんて、僕にできるわけなかろうもん」
「山尾、そんなこと考えんでもええ。金はあるところにあるし、引き出し方もある。わしに任せとけ」
 仲間割れしそうな雰囲気を、聞多がたしなめた。
「そうじゃ山尾、もう少しまっとうなやり方を聞多さんなら知っちょるよ」
 弥吉も山尾をたしなめた。
「もう少しまっとうなやり方か、わしもあまり信用されちょらんの」
 聞多は笑いながら先を急いだ。

 伊豆倉に行くと番頭の佐藤貞次郎が迎えてくれた。
「これは志道様、壬戌丸以来でございますな」
「あの折は世話になった。すまんが又世話になる。よろしく頼む」
「知っておるかもしれんが、ここにおる4人と遠藤というものの5人で頼む」
 弥吉、俊輔、山尾も頭を下げて挨拶をした。
「単刀直入に言う。5000両ともなると藩の会計方を通すとなかなか出せん。日にちもかかる。そこで銃器の購入費用として1万両預かっちょる。これを担保として伊豆倉から5000両借りた形にして、その金をジャーディン・マセソン商会に払い込んではくれまいか」

 番頭の佐藤も流石にこのような申し出になるとは予想していなかった。

「俊輔、為替の証書持っとるか」
「はい、これです」
 聞多は俊輔の持っていた、証書を砂糖に差し出した。
「どうじゃ、佐藤」
「わかりました。ただし、藩要路の方に保証人になっていただきたい。そのようにしていただければお話の通りいたしましょう」
「かたじけない。翌日にも誰かお連れする」
「横浜でなく江戸の大黒屋でお待ち申してます」
 佐藤が答えた。

 一同は、話は済んだと、横浜を急ぎ後にした。
「聞多さん、周布さんも桂さんも今は皆、京に行ってるよ。話せる心当たりとは、どなたかいるのか」
 俊輔が必死に考えていた。
 聞多はニヤリと笑ってまた「心配するな、わしに任せろ」と言った。

「ここからはわし一人でやる。お主らは土蔵相模で待っちょくれ」
 心配そうに見る俊輔に大丈夫だと目配せをして、気合を入れて歩いた。
 目指すは麻布の藩邸だ。

 藩邸に着くと、面会を申し出た。相手は村田蔵六。いつか桂との話しにも出た麻布藩邸留守居役、しかも蘭学者。うってつけな人物だ。すぐに通されて初めて対面した。

 挨拶もそこそこに本題を切り出した。
「われらこのたびエゲレスに行かせていただくことになりました。ただ藩公より稽古料として御手元金から600両いただきましたが、絶対的に不足しております。調べてみますと一人1000両は要るとのこと。5000両を速やかに用意する必要に迫られております」

 聞多は村田の反応を見ながら続けた。
「会計方を通すには秘密の保持は難しいと存じます。なればちょうど銃器の購入費用として、1万両の預かりがございます。これを担保にして、伊豆倉から5000両借りる算段をしております。伊豆倉が申すには、藩要路方の保証が欲しいとのことでございます。是非とも村田先生にお力添えを頂きたく、お願いに参りました」

 村田はこの洋行計画の本当の黒幕である周布から、エゲレスに、何人か藩士を送り込むつもりだ、と聞いていた。だが、費用のことは当方の知るところになかった。伊豆倉に協力させることも、周布は段取りをしていたはずだ。だが、5000両の保証人に今すぐなれと言われても、腹をくくることにためらいがあった。

 聞多の方も、そう簡単なことではないのは、承知のことだ。しかし、なかなか承知してくれそうにない、村田を前に焦りが出てきた。

「藩の方にも本来の会計ではなく、撫育金というのがあるのを、存じております。その金で京では様々な会合を行い、周旋をしているとのこと。そのように消えるものに使うよりも、我らの洋行費用のほうが、攘夷に役立つものと私は考えます」
 まだだめか。だんだん感情が勝ってきた聞多は、いよいよ最終手段に出ることにした。
「この度の洋行、わたくしの宿願であり、海軍の研究は一生の目的。果たすことができぬなら、ここで腹を切ります。口だけではございません」

 そう言うと脇差をぬき、聞多の切迫した目を見た蔵六は、思わず声を出した。もう、合わせを開き、肌に刺さろうとしていた。

「待ちなさい」
 威圧する大きな声を出していた。聞多には思いがけない圧力だった。
「えっ」
 聞多は我に返ると刀を鞘に戻した。

「そこまで本気ならばいいでしょう。保証人になります」
「ありがとうございます」
「それにしても、私が桂さんから蘭学の指南をしてほしいとここに来ても、蘭学・洋学・西洋兵学に興味を持つものは少なかった。君達もこちらには顔を出していませんでしたね」
「あのう、一応江川先生のところには通っておりました」
「長藩のものは洋学に向かないと諦めていたところです。このようなありがたい話早々ないでしょう。今度こそしっかり学んで、私にも教授して欲しいところです」
「はっわかりました。心に刻みます。では、明日大黒屋にご同行よろしくおねがいします」

 聞多は村田の前を下がると、張り詰めていた感情が解けて涙がこぼれてきた。夜風に当たれば落ち着くだろう。

 そうだ遠藤を連れてこなくてはいけないことをどうにか思い出した。遠藤のいる上屋敷に行き、準備ができていることを確認して、自分の部屋にも寄った。文机の下においておいた、あまり大きくない箱を取り出して、持ち出すことにした。遠藤が来たところで、共に藩邸を出て、少し寄り道をしながらのんびりと土蔵相模を目指して歩いた。



サポートいただきますと、資料の購入、取材に費やす費用の足しに致します。 よりよい作品作りにご協力ください