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【小説】奔波の先に 〜聞多と俊輔〜#23

異国(4)

 一番の苦労は便所がなく舳先で用を足す事だった。航路は南洋に差し掛かり、海の荒れ方も凄まじかった。
 日々の疲れは俊輔の体を蝕んでいった。とうとう腹を下し、荒れた海上で頻繁に用を足す必要に俊輔自身も疲れていった。それでも聞多は常に付き合い、俊輔の安全のため自身にもロープを巻き付け頑張り続けた。

 聞多は機会あるごとに俊輔を気遣って、元気づけようとしていた。
「俊輔大丈夫じゃ。わしが付いておる。共に頑張ろうな」
「聞多、本当にもうしわけない。僕と一緒にロープに繋がらなくてもええんじゃ。聞多の身の方が大事だろう」

 体が小刻みに揺れている俊輔の肩を聞多が抱きしめた。俊輔はびっくりしたが、聞多の体の熱が心も体も暖かくしてくれたように感じた。

「そんな事言うんじゃない。海の荒れもいつか治まる。甲板に魚が打ち上げられたら刺し身にして食わせる。少しは気が休まるじゃろ」
 いつもに増して明るく振る舞う聞多に、俊輔も前向きに考えようと思うことにした。でも、包丁はどうするんだろうと頭をよぎった。

 船は荒れた海域を抜け、アフリカからヨーロッパに近づいた。船員たちの荒っぽい言葉にも多少慣れて、文句もつけるようになってきた。そんな4ヶ月あまりの船旅もおわりになり、ようやくロンドンに着いた。

 だが、商会の迎えが来るまで船で待てと言われて待っていたが、なかなか現れない。俊輔は腹が減った、でも動きたくないと言い出す始末だった。

 聞多はしかたなく手持ちの金を握りしめて、部屋の外に出た。たまたまあった船員に、用心のため地図を書きながら、店に連れて行ってもらった。大したものではなかったが、温かい料理と言うだけでも満足できた。俊輔のため同じものをテイクアウトで頼み支払った。思ったより代金が高くてがっかりしたが、気を取り直して船に戻ることにした。

 書いた地図の見方を間違えて逆方向に行ったり、前を見ていなくてぶつかって文句を言われたり、聞多初の海外一人での冒険は波乱に満ちたものになった。船について俊輔のもとに行き買ってきた食べ物を渡した。

「どうじゃ大したものじゃろう。きちんと話して買うてきた。やれば出来るんじゃ」
 聞多はささやかな冒険に勝利した自信で、大威張りもし、大笑いもした。俊輔も頬張りながら、つられて笑った。
「温かい飯がこんなに美味いなんて」

 俊輔が簡単の声を上げた。元気な声を聞いて、聞多はニコニコと笑った。内心、紅茶を温々と飲んだのは、言わないでおこうと思った。

 ようやく迎えが来た。蒸気機関車に初めて乗った。黒く大きな物が煙を出して人が乗る箱を動かすのだ。多少の事は知っていたつもりでも実際に乗るのとは大違いだ。駅からようやく、ホテルへとたどり着いた。

 そこに待っていたのは、後から出たはずの遠藤や弥吉、山尾だった。見知った顔に再会できた喜びのまま皆と抱き合い、笑いあった。

 話を聞くと彼らの船は大きくて新しかったようで、聞多と俊輔の経験とは別物だった。
 そもそも聞多がケスウィックに言ったナビゲーションが大いなる過ちだったのだ。航海術の実習ということで水夫見習いをさせられたというのが本当のところだったようだ。
 それも笑い話じゃと聞多がいばるので、また皆で大笑いになった。その後部屋へ通された。真っ先にバスルームを確認に走った聞多は、がっかりすることになった。
「風呂が無いのか。ここも」
「あ~風呂に浸かりたいのう」
 疲れた体を緩めるには、温かい湯につかりたいとしみじみ思った、聞多だった。
 仕方なくシャワーを浴び、着替えて、水夫の服と分かれると少し寂しい気もした。色々あったが、これが守ってくれたのだ。

 次の日商会の人の案内で、下宿になる家に向かった。下宿先はロンドンカレッジの教授であるウイリアムソンの家だった。

 最初の夜は部屋数がないということで、どういうふうに分けようかと話をした。すると俊輔がおもむろに「僕と聞多で一部屋でいいです。他の皆はそれぞれ使って良い」と言い出したので、決まってしまった。

 ベッドは一つしかなかったので、そのまま二人で寝ることにした。いったものの、男同士枕を共にするなんて、そんなことは我が長州では禁忌だったはず。おなごのほうがえかったなぁと思いつつ、俊輔が聞多に潰されないようしがみつくだけだった。

 やはり手狭で無理ということで、聞多と山尾はクーパーという画家の家に移った。

 それでも日課の日常会話のレッスンはウイリアムソンの家で行った。その他にも辞書やクーパー、ウイリアムソンやその家族の手助けも得て、新聞に目を通すことも日課にした。次にウイリアムソンの紹介でカレッジの聴講生となり、分析化学の講義を受けるようになった。

 空き時間には商会の案内でイングランド銀行や様々な工場を見学したりして知識を得ることに力を注いだ。例えば街の散歩ではテムズ川のロンドン橋にも行った。国会のビックベンや教会が眺められた。それだけでなく聞多にはまた違う感慨があった。

「ここがテムズ川か。日本とも水で繋がっちょるんじゃなぁ。海国兵談を持ってくればよかったのう」
 聞多はロンドン橋には感慨があった。
「海と河が繋がっているのは当たり前のことじゃ」
 俊輔が聞多に何を言っているのかというふうに答えた。
「わしの海軍への興味を持ったきっかけの本の一節にあったんじゃ。本当に繋がっているからここにいる。凄いことじゃ」
「聞多さんの一念か。いい話ってことで。それにしても鐘の音がいいですね」
 弥吉が話を受けた。

 また大英博物館にも頻繁に足を運んだ。
「大英博物館はええのう。わしらのためにあるようなもんじゃ。なにしろドネイションじゃ。料金が寄付とは、懐が大きいのう」
 美術工藝品も気になる聞多にとって、目を養うことができる博物館は暇つぶしにぴったりだった。これだけの物を集めることができる、大英帝国の諸外国への力というものも感じることができた。

 社会の仕組みを学んでいく中で、聞多は生活をする中で社会の持つ空気感のようなものにも刺激を受けた。イギリスの政治家の思想や自由主義的な雰囲気を吸ったことも、政治のあり方を考える指針になっていった。ことに防衛費の増大の阻止する政策等、政府の力の形には新鮮な好奇心を持っていった。身近なところから政治のあり方を学んでいった。


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