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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#54

12 神の行く末(1)

 公儀の直轄領だった長崎は、鳥羽伏見での敗戦を受けて奉行が退去していた。そのため、無政府状態だったところ薩摩、長州、肥前、土佐といった長崎にいた藩士たちがとりあえずの行政機能を担っていた。その状況の改善が朝廷に働きかけられ、九州鎮撫総督の沢宣嘉の参謀として聞多は長崎に赴任することになった。
 総督府や裁判所(県庁)を開庁し、行政機能を図ることになった。五箇条の御誓文といった維新の変革意義も広めていかなくてはならず、長崎に来ていた諸藩の藩士たちとも引継ぎなど行い交流を深めていった。
 佐々木高行、大隈重信、松方正義など知識も実務も申し分のない逸材が、多くいることに満足とともにもったいない気がしていた。長崎の政庁には最小限の人員を置いて、直轄地の知事や他の部署に回ってもらえるよう木戸や岩倉に推薦状を書いた。
 聞多は長崎の裁判所参謀や外国事務局判事も兼任することになった。管轄である長崎にある施設などを見ていたときに、気になるものを見つけた。
「製鉄所があるのか。製鉄所は他の土地にもあるし、造船所も公儀は持っとったな。山尾や弥吉にこっちで頑張ってもらうのがええな」
「それにしても、金が無い。公儀の置いていった金に頼っておったら減る一方じゃ。上納にも限界はあるし、制度を整えるか収入の道を考えんと官員に給金も出せん。気楽に相談できる相手も欲しいの」
 考えること、やるべきことも多く色々悩むが、ぐちを言える俊輔は兵庫と遠かった。文でのやり取りでは時間もかかる。また早くも人材不足に悩んでいる山口から、木戸以外帰国してほしいという話も出てきて、それも聞多を混乱させていた。書類を仕事別に分けながら独り言ばかりだった。
「井上さん、気晴らしに行かんか」
ふいに現れた大隈に聞多は驚いて顔を上げた。
「そがん驚かんでよかでしょう。前に長崎で遊んだこともあるのだし。松方さんや町田さんも気にしてます」
「あぁ帰国の件は、まだようわかっていないので、気にしないでほしいの。気晴らしか。皆で行きましょう」
「そう来なくては。松方さんと町田さんはもう行ってるので。井上さん一緒に行こう」
「少し待ってもらってもええか。切り上げるので」
聞多は机の上の書類を片付けた。決済箱に放り入れた分を眺めてため息をつくと、大隈に声をかけた。
「それじゃ行くかの」
「ご案内します」
どこぞの相手の供かというくらい丁寧なしぐさに、聞多は笑った。
「なんじゃそれは」
「もっと強面かと」
「随分な言い方じゃの」
 連れていかれた宴席ではひたすら飲んで笑った。気晴らしにというくらいだったので、お役目については話は無しだった。宴会はお開きとなり聞多も久しぶりに笑ったと言って席を立った。店を出たところで、不意に腕を掴まれた。うわっと驚き相手を見上げることになった。
「大隈さん、どうかしたかの」
「どげんもこげんもなか。うちへ来て続きをする」
あまりの気迫に不意打ちを食らった聞多は、引きづられるように大隈の家に連れて行かれた。
「大したものはないのだが。ゆっくり話ばしとうて」
「あぁそれは。帰国の件では心配かけておるようで、大隈さんや皆にすまんことじゃ」
「役目以外の場では、さんづけはいらんでしょう」
「そうじゃな、わしも、あ、いえ。そうする」
 気軽に聞多と呼んでくれとは言えなかった。『聞多』は藩主敬親公がつけてくれた名だ。その藩公から手伝ってほしいと声がかかっている。しかし帰れない不義理な状態に、心が戸惑っているのかもしれない。
「わしが肥前で、井上さんが長州。うまくやっていけるものですかな」
「この長崎に集っておる者だって、ほかに薩摩に土佐にいろいろおるじゃろ。わしは幕臣でも、できるものならええおもっちょる。やらないかんことが多いからの」
「なるほど、その通りだ」
うんうんと大隈はうなづいていた。
「すまんが、わしはこの辺で帰る」
聞多は話もそこそこに席を立った。大隈は引き留めようとしたが、わしも忙しいのでと断った。
 一人になって考えることがあった。微妙で重大な問題に挑まないといけないのだ。
長崎には浦上という地区でキリシタンの活動が活発化していた。幕府の奉行も取り締まりをしたが、そのまま新政府においても、禁教となっているキリシタンの処置が、課題となっていた。捕らえられているキリシタンの代表者を厳罰に処するかは、在留している欧米公使にとっても注目すべき問題となっていた。
「条理のとおり厳罰とするかどうかじゃが」
聞多は総督の沢や町田、佐々木といった面々と対策を話し合っていた。
「諸外国の対応もあるだろうが、干渉を気にするのもな」
佐々木が発言をした。
「まずは改宗させるべく詰めていく、そのうえでだめだと判断した場合どうするかだが」
「太政官で指針を示してもらうべきでしょう。長崎だけの問題ではないのです」
町田久成が意見をした。
「そうじゃな。外国事務局で解決させねばならぬことだな。その時は上京をしよう」
「それでよかろう」
 方針が決まった。そして改宗にかける聴取は、聞多が中心になってやることになった。留学経験のある町田にも個別に意見を聴いた。キリスト教は欧米文明の基本にある。自分ですら教会には行ったことがある。何をどう分からせるかだ。
牢から出されたキリシタンのいる部屋に入った。書記と警護の者がすでに隅の方で座っていた。奉行所の取調の間を使っているので、時代がかった雰囲気になった。
「これより尋問を始める」
聞多が切り出した。
「おぬしキリシタンを辞めるつもりはないそうだの」
「神の思し召しに反することはできません」
「この事態がどういったものかわかって言っておるんか」
「キリシタンの信仰を捨てろ、さもなくば死ぬ。そういうことでございましょう」
「ならば、命あってのことではないのか。死んで天国に行くことが、八百万の神となることと何が違うというのじゃ」
「われらは復活を信じております」
「復活などあるわけはあるまい。ないことにすがって何になるというのじゃ」
聞多は声を荒げてしまっていた。必ずしも生きようとしない相手の口ぶりに、死んでいった者たちの顔が浮かぶ。説得をしなくてはと思うほど、心の中の何かが邪魔をする。
「魂の救済こそ、死を乗り越える希望になります」
「それで、信仰のために死んでもよいと。死を選ぶことが尊いはずがないだろう。死にかけたものが言うのじゃ。生きてこその喜びもあろう。死の先には何もない」
「希望がなければ、今を生きることもかないません。死ぬることも生きることも同じでございましょう。魂をお救いいただき、祝福を得られるのなら何でもないのです」
「殉教がなんじゃ。そねーなのは自己満足じゃ。家族もどうなってもええというのか」
ほとんど怒鳴り声になっていた。警護の者に「井上さん」と声をかけられた。ふっと意識が頭の中に戻ってきた。
「神に殉じるとは殊勝なことじゃ。これで終わる」
 立ち上がり、部屋を出た。聞多の頭の中には、ロンドンで見た教会のステンドグラスが思い浮かんでいた。心の中の事まで政が何とかできはずもないのに、という考えを押し込んでやるしかなかった。廊下に出て窓から息を吸う。気持ちを整えて事務室に向かった。
「井上さん。大変やったね」
「あぁ大隈さん。これで厳罰論をもって伺いに行かにゃならんようになった」
「こげなもんでしょう」
「そうじゃ、大隈さんにもぜひ頑張ってもらいたいですな」
 そう大隈に答えると自分の事務室に行った。木戸に対して文をしたためた。キリシタンの事の顛末や帰国の話、近況など伝えたいことがたくさんあった。それよりも会って話をしたいのかもしれない。俊輔も外国事務局判事として召集されるだろう。大坂行きを楽しみに今やるべきことをせにゃならん。
「早く話をしたいの」
 つぶやいたつもりが、大きな独り言になった。

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