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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#55

12 神の行く末(2)

 気分転換と机の上に長崎の周辺の地図を広げた。ジリ貧の財務を考えると、収益の手を考えなくてはならない。この近隣で金を生むことができるもの。炭坑や鉱山があればそこまで知行地を広げて行ければ何とかなるはずだ。そこまで考えたところで、部屋を出ようとした。廊下には人影が見えた。大隈が去っていっていた。
「また大隈じゃ。見張られているようじゃの」
思わず部屋に引っ込んでしまった聞多だった。
 ある日聞多は沢総督に呼ばれた。話を聞くために行くと、大隈に横浜転任の命が出たという。キリシタンの処置の件で大坂・京に行かねばならないのだから、大隈に同行させてはどうかと言われた。反対する理由もないので、二人で上坂いたしますと答えた。
 聞多は大隈に説明しなくてはと、事務室に向かった。事務と言っても大隈の場合自分で文や書類と書くことはない。書記のようなものを身近に置いて、書き物をさせている。自分の字があまりにも下手なのが悔しくて書くのをやめたという話があったようだ。その代わり頭を使って、すべてのことを記憶してすましていた。
「大隈さん、本当に書き物をせんのだな」
聞多は部屋に入るなり、話しかけた。少しでも「自分の間」で進めたかった。
「井上さんか、何か用事でも」
「実は大隈さんに横浜への転任の命が出ることになった。それで大阪ではわしと、キリシタンの処分の協議に参加してほしい。その後横浜にということじゃ。総督もそれが良いということじゃ」
「横浜へ、お受けします」
大隈は即答した。
「大阪には、木戸さんや大久保さんもおる。よい機会じゃとわしは思う」「よい機会とは」
「中央の人に顔を知ってもらうことじゃ」
「わかりました」
「詳しいことはまた後での。総督に話をしてこにゃ」
 そそくさと聞多は立ち去って行った。大隈のほうは必要最小限の会話で、つまらなそうな顔のままほっておかれてしまった。
 自分以上の圧を持つ大隈には未だ苦手感があったが、いざいなくなるというのも寂しい気がした。せっかく討幕のなった世を、新しいものにしていくという考えは、聞多と大隈には共通のものがあった。王政復古という手段をとったことで、古き良き世に戻すことを目指す人たちも多く、保守派と開明派という色分けもあるようだ。大隈にはできれば自分達についてほしい気がしていたのだ。
「送別会でもやって、大隈との間を詰めてみるか」
 これもいい機会だと思った。その足で、沢総督に会い、大隈が了承したことを伝えた。また、大坂に行く前にキリシタンの処分について、話し合いを持つことについても了承を得た。この件については、町田久成にも個人的に話を聞きたいと思ったが、自分の考え方を晒すことにためらいがあって未だにできていない。本当の意味で決断を先送りにしたい問題は初めてだった。      
 会議のほうは、総督や佐々木といった面々と聞多も含めて処分については、厳罰をもって行うべしという意見を持っていくことに決した。大隈はほとんど発言していなかったように見えた。その後料亭に場を移して、大隈の送別会を催した。
「ご栄転めでたいことじゃ」
聞多が大隈に酒を注ぎつつ声をかけた。
「実は横浜はおろか江戸にも行ったことがなか。初めてばかりで楽しみだ」「ほう、それは面白いの。横浜はイギリスに密航したときの出発地であり帰国の地じゃ」
「開国の重要な港やったかな」
「そうじゃ。横浜は新しい港での。因習の強い長崎よりも面白いかもしれん」
「新しかことがでけるんな、楽しそうや」
「そうじゃ、その前の大坂についても共にな。頼む」
 町田も来て話をしたそうだったので、聞多は離れた。宴会はお開きになり、それぞれ帰宅の途についた。
「井上さん」
大隈が前を歩く聞多に声をかけた。
「なんじゃ」
聞多が立ち止まり振り返った。
「大阪行きの件、どうせなら一緒はどうかと」
「大隈さんは荷物があろう」
「荷物など大したもんはなか。すぐにでも出立できる」
「そうか、じゃぁ明後日じゃ。よろしくの」
笑いながら聞多は大隈の前を立ち去って行った。
 長崎からの船旅は、ほかに相手になるものなく、大隈とひたすら話をすることになった。
「さすがに、大隈さんはやめてもらいたか。八太郎とでも」
「くまとでもよぼうかの。わしは聞多じゃが」
「じゃが?」
「聞多という名は殿から頂いた名じゃ。殿への御奉公かなわぬなら、このままでええのか考えておる。井上でええじゃろ」

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