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第13回 昔の話(続き)

IT業界の話

私は東芝でパソコンの担当をしたおかげでいろいろな方と知り合い、コンピュータとソフトウェアの業界ができ、ソフトハウスを含めたサードパーティという会社が次々に誕生した時代を経験しました。
 
コンピュータは大手企業を中心に普及していましたが、中小以下の企業では、コンピュータは高嶺の花でした。というかコンピュータへの理解も少なかったと思います。
ワープロ専用機というのがあって、どちらかというと中小にはワープロのほうが早く入りました。東芝のワープロは一番人気でシェアも高く、ワープロの部隊は花形でした。
 

パソコンの登場

パソコンが登場して、しかも安くなって、かつソフトウェアが充実してくると、パソコンが中小に入り始めます。ワープロ専用機は姿を消し、パソコンで一太郎とか松とかを使うようになります。
 
ソフトハウスは自分のソフトを売るビジネスですので、先週も言いましたが、シェアの高いNEC用のソフトを作るんですね。そこでNEC以外の会社はDOS/VというOSに統一する戦略に出ます。
 
そしてマイクロソフトがWindowsを出すと、操作性が向上し、さらにPCが普及しますが、DOS/VとWindowsの普及によりソフト面でも変革が起きます。
ソフトハウスがNEC用に作成したソフトをWindows対応にする作業をする上では、さほど大きな作業をせずとも他のメーカーでも動作することがわかりました。
 
そして、東芝が始めたノートパソコンの普及により、NECのシェアに変化が出ます。ソフトハウスにとってはメーカーではなく、Windows用のソフトを作ればよいという時代になったのです。
 
パソコンの値段もどんどん安くなります。東芝で最後に担当したのがダイナブックでした。A4サイズ、HDD20MB(発売時10MB)で198,000円というのは相当な衝撃でした。
 
インターネットがスタートするとさらにパソコンの位置づけが重要になります。それまで業務用として普及していたパソコンはネット世界への入り口になりました。
 

インターネットと出会う

毎年、ラスベガスで開催されるCOMDEXというコンピュータ業界の展示会に行っていたのですが、まだインターネットは普及するかどうか疑問の声もあった時期があります。
マイクロソフトのビルゲイツも、COMDEXでの基調講演で、インターネットは一過性のものだと言っていました。1993年頃です。
(windows95を出した1995年にはインターネットのブラウザを同梱するなど方向転換をします)
 
私も1993年に取引を始めた米国の会社から、ファックスでなくインターネットでやりとりをしたいと言われました。インターネット?私は弟がコンピュータ業界でしたので、彼に教えてもらいました。
そこでインターネットを導入しようとして調べたら、ATTの日本法人が取り扱っているということで聞いたら、月額20万以上かかるとのこと。
それはちょっと厳しいなと思っていたら、ベッコアメという会社が年額2万円入会金1万円でサービスを開始しました。
いわゆるプロバイダ、ISPの誕生です。ベッコアメの創業者は尾崎さんというのですが、彼は偶然にも東芝の後輩の技術者で、共通の友人もいましたので会ったことがあります。1994年11月にサービスを開始し、3か月で7000人の会員が集まりました。2億1千万のお金が入ってきたのです。尾崎氏たちは、税金対策としてスーパーカーを買います。それがニュースとなり、プロバイダはもうかるということで、雨後の筍のように全国にISPができるようになります。
 
私の会社はそのISPを立ち上げる仕事を始めます。中部地区で3社、大阪で1社を立ち上げました。当社の強みは営業企画、販促面のお手伝いもできたということでしょうか?
 

故郷宮崎のインターネット

その中で故郷宮崎はどうなのか?宮崎に帰り、調査を行います。まったくその動きはありませんでした。好きな人は福岡の会社に接続してインターネットを利用していましたが、当時は電話回線をつなぐので、電話代が10万円かかった、などという逸話があったくらいです。
 
宮崎出身の後輩たちと会社を作り、ISP事業を宮崎で始めました。宮崎インターネットのスタート、27年前の話です。
 
来週は・・・2023年の展望についてお話します。

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