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#207 草間彌生という生き方【前編】~マンチェスターで子どもたちが駆け回る


イギリス北西部の都市、マンチェスターでは、今年のインターナショナルフェスティバルの一環として世界最大規模の草間彌生アート空間が展開されている。

私たちが車で五時間も離れたマンチェスターまで赴いたのは、生活の拠点が変わろうとする長男を迎えに行ったからだ。我が家では、ふたりの子どもが大学時代を過ごした都市なので、この10年のあいだに何度となく荷物を運ぶという親の役目があった。おそらく今回が最後となるマンチェスター行きが、40日間だけの草間彌生エキシビジョンと重なったとあれば、行かないチョイスなどない。

息子は、日本の瀬戸内で元祖のかぼちゃスカルプチャーその他を観、その次に香港では張りぼて(papier-mâché)のエキシビションを観てきた。今回はバルーン(空気で膨らます)となれば、だんだん格下げされていく感が否めない‥‥
そう言った。
けれどもなかなかどうして、バルーンの持つソフトさが心地よく、この巨大な規模を可能にしてくれたバルーンは優秀だったと思う。

最初に通されたのは、このにゅるにゅるのものが躍動感いっぱいに配置された立方体のような部屋。
ルイヴィトンとのコラボで出現したタコ足を、黄色いかぼちゃのデザインで再現したような世界が広がっている。
入った途端に心が躍り出す。

ああ、もっともっと居たかったこの部屋


360度このデザインに包まれる迫力は圧巻


この部屋の端の黒い鉄の階段を上ると、開けた視界に飛び込んでくるのがこの世界。

元倉庫のような巨大な空間に、溢れ出すような水玉

中央のフロアには、空に浮かぶ雲に見たてたクッションが‥‥
こうやって寝ころんで上を見ていたい気持ちがすごくわかる‥‥

みんな靴を脱いで、思い思いの恰好で寛ぐ


今度は下に降りて、さっき上から見下ろした階段(右上)を逆に見上げたところ。
みんなが雲のクッションに横たわって見てたのは、こんな楽しい水玉模様の雲‥‥

水玉のふわふわがたくさん浮いている


巨大なこんなオブジェや‥‥

そんなに大きくないサイズのものまで‥‥
どれもこれも水玉。

このエキシビジョンは子どもから大人まで楽しめるような明るい、可愛い色彩やモチーフだけで構成されたものだった。
なのになぜ心が躍らないのか‥‥

それは私が日本語がわかってしまう人だったからだと思う。
このポップな空間には、明るい音楽が流れていたのではない。この空間に居たあいだ絶え間なく流れていたのは、スクリーンに映る草間彌生本人の、拍子や音程のズレた歌のリールだった。
英訳が表示されず、内容の説明もなかったため、一見(一聞いちぶん)すると老齢のアーティスト自身が、拙い子どものような無邪気さで歌を歌っているようでもある。
歌の内容が聞き取れるようでよくわからない。なのに、ところどころ耳に入ってくる言葉から、なんだかただならない意味を感じ、心がかき乱されてしまうのだ。

独自の振り付けで伴奏なしで歌うビデオがスクリーンいっぱいに‥‥

抗鬱剤のんで去ってしまう
錯覚の扉撃ち破る
花の煩悶もだえのなかいまは果てなく
天国への階段 優雅やさしさに胸果ててしまう
呼んでいるきっと狐空そらの碧さ透けて
幻覚まぼろしの影 抱擁いだきわきあがる雲の色
芙蓉ふよういろ食べてみて散るなみだの音
わたしは石になってしまう
永遠とこしえでなく 自殺てる 現在いま

草間彌生作詞作曲"Manhattan Suicide Addict"
「マンハッタン自殺未遂常習犯の歌」

内容がこのようなものだったことを家に帰ってから知った。

このエキシビジョンで特筆すべきは『子ども』の数の多さだったと思う。明るくて大胆な草間のアート空間を走り回る子どもたちは微笑ましかったし、まさにそれが意図されたことなのだろう。だからこの歌に敢えて英訳を入れなかったのかもしれない。
夫は「あのビデオの流し方は怠慢だ」と言った。観る人が意味の分からないビデオを繰り返し流し続けることに、本当に意味はあったのだろうか‥‥


ピンクのタコ足?ここでも子どもたちがかくれんぼしたり追いかけっこしたり‥‥


草間彌生の名には、"The most successful living artist in the world" (世界で一番成功した生きているアーティスト)という肩書きがついている。
アートが世に認められるのはアーティストの没後であることが多いといわれる。
生きているうちにこれだけ有名になったのだから、草間は幸せだということになるのだろうか‥‥

実はこの日、エキシビジョンを後にして私はなんともいえない悔しさに包まれていた。
なにか腑に落ちない思いでメイン空間を後にし、最後に草間彌生の生き様を綴ったビデオを観たからだ。短いビデオだと思っていたので、その内容の濃さに驚くことになった。
1950年代のニューヨークで、才能だけでは勝負にならなかった彼女の悔しさ、反骨精神に胸がえぐられた。
海外に飛び出した日本人女性として彼女の味わった悔しさに、完全に同調してしまっている自分が居た。

私にとって草間彌生というと、『精神疾患を抱える奇抜な老人女性アーティスト』という印象だったのかもしれない。
彼女の経歴は知っていたつもりだったけれど、
私は何も知っていなかった。

次の投稿では、私が書きたかった草間彌生の核心に迫りたいと思う。

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