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#167 人は許し、許されたり、頼って、頼られるのがいいと思う


この夏日本で私は大きな大きなスーツケースとともに移動することがよくあった。
これまでは、駅の階段でそのスーツケースを自分で一段ごとに抱えては置き、繰り返しながら一歩一歩運んだものだ。小学生の子ども(達)を一緒に連れていた頃の話だ。子ども(達)のほうも大きなスーツケースを持っていた。
あの頃は声を掛けたり手伝ってくれる人は居なかった。イギリスに慣れていた自分だったから最初はただビックリした。日本で大勢の人が私の横を素通りするだけだったから。

ここで私が「日本の男性が助けてくれなかった」と嘆きたくて書いているのではないことをどうかご理解いただきたい‥‥ 
現に今年は、エレベーターのない駅で私のことを見かねてワンマン電車の運転手さんや、車内で隣りに座っていた男性が代わりにプラットフォームからの階段を上がって下りるまでスーツケースを運んでくださって、とても嬉しかったのだ。
私がもう女性というよりも中高年なのが理由なのかなとも思う。どちらにしても親切な気持ちに変わりはない。
手伝ってくださったのが、私と同じくらいの年齢の男性だったので恐縮してしまった。
ところが、若い男性の反応は違うものだった。

自分のようなヨレヨレのおばさんが重い荷物を体を曲げて運んでいる。その姿が目に入っても若い学生さんやサラリーマン達は顔色ひとつ変えずに立っている。自分よりも歳を取っていたり、力のない女性にとってどうなのかなと想像する習慣がないのだろう。

私は、日本の若い男性たちは真面目で優しい人が多いと思っている。良識もあると思う。
きっと「男性は自分たちよりも力の弱い女性を助けてあげなさい」というふうに育てられていないのだと思う。だから気づかない若者たち。
あるいは、気づいていても恥ずかしくて声を掛けられない若者も中にはいたのではないかと思っている。


日本で「自己責任」という言葉を何度か聞いた。
確かにこんな大きな荷物を持っていることも、普通の人が通勤したり日常を営んでいる時に旅をしているのも私が勝手にしていること。
自分の荷物は自分で運ぶのは当たり前だと言われているような気がした。

イギリスではレディファーストというが、男の人は若い子から年配の方まで率先して女性に手を差しのべる国だ。
だから重そうな荷物を持つ女性や年配の方を男性がさっとスマートに手伝う。
レディファーストを躾と呼ぶならば、それは私たちが「いただきます」「ごちそうさま」と言うのと同じくらいあたりまえに浸透している。
親を含め、周りの大人たちがするから子どもも同じことをするという単純さかもしれない。

女の子のために先回りしてドアを開け閉め。そんなことをしてほしいという話ではないけれど、前の人が開けて通ったドアが自分の鼻先で閉まった時に、これは無粋だと感じた。
少なくとも多くのヨーロッパの国で、後ろから来る人を気にもせずドアを押さえてあげなかったら、とても失礼な人と映るのは間違いない。

このシチュエーションを日本であまり経験しないのはなぜだろうかと考えたら、答えは「自動ドアの普及」によるものだった。
ほぼ全ての公共トイレにウオッシュレットが付いていたことに驚いたのと同様、かなり不必要と思われる場所で自動ドアに出迎えられた。

「自己責任」という言葉から温かさを感じないように、街に溢れる自動ドアからも人を頼らない寂しさを感じるのは私だけだろうか?

人はちょっと手助けを要する人の方が案外可愛いかったり、お互いさまだと安心させてくれるものじゃないかと私は思う。

「人に迷惑をかけない」ことに重きを置くよりも、私は人と寄り添い、頼って頼られる社会が好きだと思った。

自己責任なんて言葉、消えてしまえばいいのに…



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