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#209 草間彌生という生き方【中編】~私への評価をなぜ奪っていくの?~


先日イギリスの地方都市マンチェスターで、草間彌生氏によるアート空間を体験してきた。

このアート自体は水玉模様の可愛らしいデザインが主体で、子どもたちがはしゃぎ、家族連れは雲のクッションに横たわるという幸せな空間となった。

私自身もそんなふわっとした気分でいられたのかといえば決してそうではなく、彼女の情熱や想念に共鳴しながら会場を後にした。とにかく感情が揺さぶられるのだ。
その後、娘お薦めのインド人シェフによる三種類のカレーをいただいていても、Marmaladeさんに教えていただいた辻利茶舗の抹茶白玉サンデーをいただきながらも、まだ体の血がぐわんぐわんしていたと思う。

それを書いていこうとしたら、【後編】一記事に収まらなかったので、今回は【中編】として、順不同ではあるが、私が彼女の悔しさに同調した『三度の盗作』について書きたいと思う。


1962年、ニューヨークで自身の才能を開花すべく、草間は4人の白人男性芸術家たちと共にグループ展に参加する。
クレス・オルデンバーグ (Claes Oldenburg)、ジェームス・ローゼンクイスト (James Rosenquist)、ジョージ・シーガル (George Segal)、そしてアンディ・ウォーホール (Andy Warhol) 達だ。
ひとつの部屋に5人のオブジェが置かれたが、草間が発表したのは中に綿を詰めた布製の男根で埋め尽くした椅子『アキュミレーションNo.1』だった。

Yayoi Kusama’s Accumulation No. 1. soft sculpture exhibited in a group show at Green Gallery, New York, 1962. © 2012 Yayoi Kusama. Courtesy Yayoi Kusama Studio Inc.

草間のこの作品は5人の展示の中で、最も注目を集めたのは間違いなかった。なのに、芸術界ではなぜか押し黙ったように、草間の成功を取り上げることはなかったという。

Accumulation No. 1., sewn stuffed fabric, paint, and chair fringe, by Yayoi Kusama (1962). Courtesy of MoMA.

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ところが、ほどなくしてグループ展の一人、クレス・オルデンバーグが、初めてのソフトスカルプチャーを発表する。1962年8月のカレンダーだ。
これが、彫刻家であったオルデンバーグが、布に綿を詰めた始まりとなった。

Soft Calendar (1962), Photographed in the Metropolitan Museum of Art in NYC.

ソフトスカルプチャーという概念が芸術界にもたらされたのはこの時だといわれ、草間が初めてやった時にはそれほどの評価を受けていない。
草間自身の懐述によると、オルデンバーグの妻が彼女の顔を見るなり、“SORRY, YAYOI”と言ったという。
オルデンバーグは一躍脚光を浴び、草間は絶望した。

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アンディ・ウォーホールといえば思い出すのはキャンベルトマトスープの缶やマリリン・モンローなどの、ポップなイメージの反復だ。
彼があのアイデアに辿り着くより前に、自分のアートを写真にして壁一面を埋め尽くしたのは草間だった。

1000艘のボート・ショー ヌードでポーズを取っているのは草間本人 Yayoi Kusama posing with her work Aggregation: One Thousand Boats Show, installation, Gertrude Stein Gallery, New York, USA (1963). Courtesy of Tate.


「あんなことをやったのは私が初めてだった」
なのに同じことを二番煎じでやったウォーホールが名声を手にしていく。

牛の壁紙 Andy Warhol posing with his Cow Wallpaper, silkprint, photograph by Steve Schapiro, Los Angeles (1966). Courtesy of the National Gallery of Victoria.

またしても精神的打撃を受けた草間は、アイデアの流出を避けるためアトリエの窓をすべて塞ぎ、秘密裏に制作するようになっていく。


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1965年、草間は、最初の「インフィニティ・ルーム」シリーズに当たる「ファリスの平原」を発表し、再起する。鏡張りの部屋を、無数の水玉模様の男性器が埋め尽くす。観る側が作品の中に入って、無限に回帰していくような体験型の芸術を発表した。奥行と無限性を意識した彼女はまさにインスタレーションの先駆者だったと言えるのだ。

Infinity Mirror Room-Phalli’s Field, stuffed cotton, board, and mirrors, by Yayoi Kusama (1965). © Yayoi Kusama. Courtesy of Tate.

インフィニティ・ルームは、結局買い手が付かなかった。

ところがその7ヶ月後、ルーカス・サマラス(Lucas Samaras)という芸術家が、インフィニティ・ルームに似た鏡張りの空間でのインスタレーションを発表。

The interior of an artwork by Lucas Samaras called Room No.2, or 'Mirrored Room'


又もや、彼の方は激賞されることになり、作品にも買い手が付いた。
盗作されたサマラスの作品を見た彼女は、鬱病が益々悪化し、自殺未遂を図っている。


エキシビジョン会場の最後に置かれたビデオが思いのほか続いていた。
先にロビーに出てしまった夫を気にしながらも、私は雷に打たれたように観続けていた。
さすがにこの三度目のエピソードにきた時、あまりにもたまれなくなってこの場を後にしている‥‥


自分の才能、自分が受けるべきだった評価を、なぜ他の人間が奪っていくのか‥‥

芸術家同士が『インスパイア』し合うこと、と『盗作』。
同じではないが、線引きしにくい領域かもしれない。
草間彌生の場合は、アジアの小娘として軽んじられた故に、良いものを発表しても観る側の先入観に邪魔をされたと言えるかもしれない。あるいは誤解を恐れず言えば、白人男性社会(芸術界)からの目に見えない虐めだったようにも感じる。
才能があるのに、周囲からまるで示し合わせたように軽んじられる‥‥
ビデオを観ながら、同調圧力というものや、集団なら加担していても何も感じない心理を思わずにいられなかった。

これが、同じ日本人であり女である私が悔しさで震えた理由‥‥

後編は草間彌生氏の生い立ちにも触れていきます。


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