君たちは「どう生きたか」 その4

承前

前回で最後に予告したことをできるだけ簡潔に書いてみる。

個人的なアニメの見方として、エンディングに載る「スタッフ」が誰かというのを見るクセが自分にはある。

それはプライベートな、悲しい出来事のせいだろうけど、幼少の頃から、それは自分が「好きなものの理由」を確かめるようなものだった。

その最初は宮崎駿と高畑勲という名前を「アルプスの少女ハイジ」で見つけたことが、「はじまり」。ハイジは時代的な偶然というか、なんとリアルタイムで偶々めぐり逢ったおかげもあり、とても幸せだったとも思う。

そのずっと後、首藤剛志という名を「魔法のプリンセス ミンキーモモ」で見出すことになるが、九州の片隅では、テレビ東京でやってたアニメはまだ系列局がなくフジテレビ系列で朝放送されていた。これはリアルタイムではなかった。
大学に入るとアニメサークルに入ってそこで親しい友人もできた。その首藤剛志さんが「シリーズ構成」という、アニメ制作の上では今は常識となってる肩書で作ってるというアニメを、その友人が卒業後就職した関東から、VHSビデオカセットにダビングして送ってくれた。
九州では放映されていなかったアニメというので、私の為に直に。
今じゃネット使えば多分簡単に見れるけれど、なんともこの出会いが今に繋がるようなものになるとても大切なアニメだった。
「アイドル天使ようこそようこ」
というアニメ。監督は「アミノテツロー」、脚本を監督のように統括するシリーズ構成が「首藤剛志」さんだった。1990~1991年に放映された。

時代はまた少し過ぎた2011年、「あの花」こと「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」に出会うことになる。個人的に悲しいことがあって、また再びアニメに興味を持って、いくつかのアニメをその時から過去に遡って後追いで見ることになり、気に入って好きになったそのアニメの作品の中に「岡田磨里」という脚本家の名前を自覚するようになった。

なんで好みのアニメに「岡田磨里」ってのがあるのかって。
やがて人気の「アニメ作家」として自伝の本を出すというので真っ先に買った記憶。

「学校に行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで」
を。
この本を元にNHKで後に実写ドラマ化もされたのにも驚いたけれど、彼女がVシネマというエロビデオの脚本書きから、アニメに関ることになる初めての人が「アミノテツロー」さんというのをみて「体中の毛穴がぶわっと開いた」感覚を味わったわけです。

以上、簡潔ながら、自分がいかに岡田磨里さんが好きなわけのからくりのようなものの「理由」でした。


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