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はじめてのお店で何を注文するか葛藤する

特段の予定もなかった休日、ランチのために近所のラーメン屋を訪れた。そのラーメン屋はネットの情報によると結構な人気店で、フランス料理のシェフが一風変わったラーメンを作っているという。味噌ベース、カレーベース、醤油ベースとスープのベースで種類分けされていて、さらにそれぞれのベース毎にいくつかのメニューが並んでいた。

ところで、はじめて入る飲食店での注文は、いつもとても慎重になる。決断のしかたに3つのパターンがあるからだ。

①店の特徴がわかるベーシックなもの
②そのジャンルで自分が一番すきなもの(ラーメンなら味噌、焼き鳥なら皮とか)
③その日の自分の気分にフィットするもの(常に②を一番食べたいとは限らない)

件のラーメン屋で、私はメニューの一番上にあった味噌ベースのラーメンを注文した。店に入る前にネットで検索して、あらゆる角度から検討し決断したものだった。

口コミ情報では「この店といえば〇〇だ」というメニューを把握した。さらにそれぞれのメニュー毎に味の感想を読み込んで、どのメニューが自分の今日の気分を満たしてくれるかも予想した。幸運にも味噌ベースのラーメンは私がラーメンの中で一番すきな味。3パターンの決断ルートがすべてこのメニューに結実していた。

店の立地、あるいは好みに合わなかったという理由で、もう2度と訪れないかもしれない。だからはじめて訪れる店での決断を絶対に後悔したくない。自分でもちょっと引くほどの執念だ。

ベーシックなメニューを選ぶことはその店の特徴を知る上ではきっとよい決断で、「まずはこれでしょ」と選びがちだし、店側が「はじめてのお客様はこちらから」と明示してくれている場合もある。「まずはこれでしょ」戦術の人にはグルメさんや評論家気質が多いように思う。その店を正当に評価するのに必要な振る舞いなのかもしれない。

けれど、ベーシックなメニューを食べても、もし次の機会がこなければその店の特徴を知ることに意味がないのでは。自分が今食べたいと思うもの、この欲求に忠実になったほうが後悔がないのではと思い至る。なので、その日の自分の気分にフィットするものを選べたときは、心の中でガッツポーズをしている。今この一瞬の欲望だけを満たす決断に、社会的な人間性よりも生物としてのヒトらしさを感じる。

ただ、自分の気分に合うものでそのままおいしいと思えるかは別。結局はこれまでの経験則によって作られた「そのジャンルで自分が一番すきなもの」を選ぶのが満足度高い選択ではないか。代り映えなくツマラナイかもしれないが、実はこれが一番賢い決断なのでは――

このラーメン屋、家から10分ほどの距離なので行こうと思えばいつでも行けるのに、注文の決断にはネット上の調査に20分を費やしていた。さらに飽き足らず、こんな駄文まで書いてしまっている。

毎食こんな本気で「決断」に取り組む私をスティーブ・ジョブスがみたら、呆れてものも言えないだろう。

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