今年も福島に行ってきました。-福島研修旅行2022年夏の報告-

福島での学生引率の研修旅行、2022年夏。今年は学生15名、京都女子大学8名、関西外国語大学7名。今回は中間貯蔵施設にも入った。2時間のワークショップもやった。事前学習に加え、少しづつ知識が増え、学ぶところが大きかった。帰還困難区域では、特定復興再生拠点区域(スポットで帰還可能に整備する区域)が徐々に増えている。

除染廃棄物の最終処分場の課題についても学んだ。原発事故後、居住環境の確保のため、除染は不可避だった。中間貯蔵施設も必須だった。この途上で最終処分場は福島県外と国が約束。2015+30=2045年までに決定する予定だ。この問題はこれから。関連のワークショップも始まっている。

福島での学生引率の研修旅行を2011年の夏以来、ずっと続けてきた。自分が関わった核物理学や放射線計測(データ処理)は、原子力とは遠い。だが無関係ではない。
今年参加した学生さんは、京都女子大と関西外大の混成チーム。
コロナ検査必須。集合場所のいわき駅前には、新しく歩行者デッキが出来ていて驚き。

最初に向かったのは、いわき市の南、小名浜港の近くにある、有名な海産物市場「ら・ら・ミュウ」。ここで生牡蠣(生カキ)を食するのが、楽しみになりつつある。


今年は、初めて「生うに」というのも食してみた。採れたて、うまいです。この写真二枚目のガラスケースに1個、残っていたが、振り返ったら、このお客さんがお買い上げ、ケースは空っぽに。

いわき市小名浜の「ら・ら・ミュウ」でもう一つ有名なのは、2階にある3.11津波被害の展示だ。2年目くらいに行われたが、その価値の高さに「期間」を延長、今に至ると思う。一見の価値あり。記録的な意味も大きい。大作、秀作だ。写真4枚目は研修室で解説・説明の受講中。


2番目の訪問地は、いわき市の南東、豊間・薄磯地区にある「いわき震災伝承みらい館」。旧豊間中学校の跡地に作られた。中学校は小学校と同居。「語り部」の方のフェアで抑制的な「熱弁」に耳を傾ける。「震災被害というのは数じゃない。一人ひとりの生活があり人生があり...。」


1日目の夜には宿泊施設で「復興ワークショップ」。復興過程の難しさを学ぶ。防災教育カードゲーム「クロスロード」の発展版のような内容。避難所編、復興まちづくり編、廃炉編の3段階。複雑だが面白い。各町が協力しないと解決出来ないような「仕掛け」まで組み込み済。

天神岬の展望台から見た楢葉町。煙突は広野町の東京電力・火力発電所。中央部の施設は3.11以降に増設、フル運転中。写真二枚目の中央左の白い建物(山の稜線に見える建物)は、楢葉のモックアップ施設、原寸大の原発で廃炉研究開発。写真中央の敷地に仮置き場があった。全て中間貯蔵施設に搬出。新たな製造業の工場も進出。

国・県の伝承施設「東日本大震災・原子力災害伝承館」。写真一枚目は屋上から。国策としての復興支援「イノベーション・コースト構想」の一環。復興祈念公園もできる予定だ。内部は撮影禁止だが、ここでじっくりと、外から(県外から)は分からなかったことの一部を、学ぶことが出来る。

中間貯蔵施設。大熊町と双葉町にまたがる第1原発の周囲、ドーナツ状(その半分の、左半分の形状)の施設。除染廃棄物は全部で1400万袋(予定)、現状で90%搬入終了。ほぼ終わりが見えてきた。
次の写真は、ある区画の展望台から第1原発を眺めるの図。茶色いのは、3号機の上に位置する、蒲鉾状のクレーン施設。1号機は2本のクレーンの下だ。

中間貯蔵施設。続き。許可がないと入れない。見学台での線量率は1.3μSv/h程度、私の測定値とも(ほぼ)一致。短時間なら全く問題ないレベル。
写真2枚目の左(緑地)が、完成した中間貯蔵施設。右半分は、これから入れる予定の「未完成」エリア。ここで30年間、眠ることになる。

大熊町役場。県では2017年3月末に全面的に(最後に残った4町村も)避難指示解除。帰還困難区域が残った。大熊町と双葉町は、ほぼ全町がそれ。その後、特定復興再生拠点区域という制度を創設。大熊町の大川原地区では、廃炉関係の大熊食堂も拡張、中規模の綺麗な町を創設。そこに町役場も移転。その町役場で研修。

大熊町。続き。大熊町の帰還困難区域の中でも、特定復興再生拠点区域は2022年6月末に避難指示の解除。大野駅の周辺も避難指示解除。新たなまちづくりが始まる。2050年のゼロカーボンを目指す。例えば2022年7月、新型太陽光パネルで東芝と協定締結など。

大熊町・双葉町。苦渋の決断について。
2013年、当時の石原環境大臣が中間貯蔵施設案で「最後は金目だね」と発言。大反発。国は国有化をやめ、地権者から借り上げる方針に転換。しかし結局、大部分の95%は自分の土地を福島復興のために手放すという苦渋の決断をされた。

大熊町・双葉町。苦渋の判断について。このビデオを見るとよく分かると思う。大熊町、吉田町長、ビデオメッセージ。



飯舘村の長泥地区は、飯舘村で最も線量率が高く、帰還困難区域に指定。一時期は除染しない=住民が帰還できない「戻れない村」だった。しかし特定復興再生拠点区域に指定、再生の努力を開始。除染で出た土壌の一部を再生利用する実証実験を提案。逆転の発想で研究開発実践中。

飯舘村の村長の話。ご自身は大学院で核物理学を研究(BNLのRHIC-spin。驚きました)。村に戻ると決断し、役場職員、そして最近、村長に。この訪問では、事前に学生の質問を集計。村長の概要説明の後、1時間の質疑応答。苦難の歴史を抱えつつ、究極のプラス思考で、首尾一貫した取り組み。

福島県伊達市の霊山(りょうぜん)旧仮置き場。市の除染担当、半澤隆宏さんの頃からお聞きしていた、有名な霊山の仮置き場。その土壌(整備済み)や自然環境を生かした再生利用の試みをお聞きする。採れたて、熟した桃が最高に美味しい。



伊達市、霊山仮置き場。続き。ここは非常に初期(最初期)の仮置き場だった。それだけに、住民の意見で場所を決めるまでが非常に大変だったことはよく知られる(ほとんど知られていない)。初期だったため、その後、多くの見学者もあったと聞く。
写真上:2012年11月12日
写真下:2022年8月4日

福島市内の除染情報センター改め、今の「環境再生プラザ」。その通りの命名。JR福島駅の東口。俯瞰的で基礎的・常識的な知識が一通り、得られる。放射線の測定実験も出来て、よく分かる。説明員の方の説明もかなり正確で素晴らしい。県外の人にはここも一度、お勧めです。

福島での研修旅行2022年夏。私からの報告は以上です。
書き方から分かるように、念頭においていたのは県外の方々です。仮に訪問して現状を見ても、その間の経緯は分からないかもしれない。県内の方々には今更、周知のこと、あるいは私の誤解もあるかもしれません。何か問題があれば、ご指摘下さい。

謝辞:
今回の福島研修旅行は環境省「福島、その先の環境へ。」企画の一環として実現できました。関係者各位のご協力に感謝致します。また企画の全体調整と解説・指導を頂いた開沼博先生(東京大学大学院情報学環・学際情報学府准教授、社会情報学コース)に感謝致します。

著者註:
なおこのnote(報告)は、2022年8月12-13日に著者が行った一連のtweet(https://twitter.com/y_mizuno/status/1558061118026702848から始まる一連のスレッド)を元にして、若干の加筆修正と写真の差し替え等を施した上で、一つのnoteにまとめたものである。

補足:
伊達市霊山における除染廃棄物の仮置き場(2012年当時)。私は2012年11月12日に訪問、仕組みを理解した。まず土剥ぎ、更地の土地造成、山砂層、仕切り層、ベントナイト層(漏水吸収層)、排水パイプ、山砂利層、シート。その上に除染廃棄物(フレコンバッグ)を3段積み。完成後は遮水ゴムシートで被覆される。その上で定期的に漏水検査もされるなどの施工・管理が行われた。

                               以上。

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