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連載中国史14 項羽と劉邦(2)

劉邦は項羽に不満を抱く諸侯たちを巻き込みながら、次第に項羽軍を追い詰めていく。「背水の陣」で有名な天才軍人の韓信を配下に引き入れ、度重なる敗戦からも粘り強く立ち直り、遂には垓下(がいか)の地で項羽軍を完全に包囲するに至った。夜半、包囲軍から聞こえてくる楚の歌を耳にした項羽は驚く。楚は項羽の故郷であり、敵軍から沸き上がる歌声は、孤立無縁の窮地に追い込まれた項羽の運命を物語っていた。「四面楚歌」の語源となった故事である。

四面楚歌(yuki-china.comより)

項羽は愛人の虞姫を抱き寄せて詩を吟じ、別れの杯を飲み干すと虞姫を自らの手にかけ、少数の精鋭とともに決死の敵中突破を敢行した。わずかの手勢で幾重もの囲みを突破し、自身の没落は天命であって武勇の弱さによるものではないのだということを立証したのだ。烏江の渡し場で退路を断った項羽は自ら首をかき切って壮絶な死を遂げる。強烈な自負心に支えられた英雄の最期であった。

司馬遼太郎「項羽と劉邦」(jaja-live.comより)

司馬遼太郎氏の小説「項羽と劉邦」では、両雄の個性を対比しながらトップリーダーにふさわしい資質とは何かを浮き彫りにしている。個人としての能力を比較すれば項羽のそれはずば抜けており、劉邦をはるかに凌いでいた。一方、自らの無能さを自覚していた劉邦は、周囲の人々の力を借りることで結果的に項羽を凌ぐチームとしての力を得た。劉邦の個性はいわば大いなる「虚」であり、空っぽであったからこそ、多くの有能な人材がそこに引き寄せられて各々の力を発揮することができたのである。

もうひとつ、司馬氏は広大な中国をまとめるリーダーとしての現実的な資質として「食の保証」を挙げている。端的に言えば、民衆は自分たちを「食わせてくれる」リーダーについていく、というのである。膨大な人口を抱える中国大陸において統治のための第一条件が食であるというのは、なるほど納得できる話である。昔の中国では挨拶言葉として「吃了嗎(チーラマ)?(ごはん食べた?)」という表現があったというのも、食に対する関心の深さを示す一例だと言える。劉邦はその重要性を肌で感じており、側近の蕭何の行政手腕もあって、多くの人々を「食わせる」ことに成功した。恒産なければ恒心なし。まずは民衆の生活の基盤である食を確保することが何より大切だというのは、現代の政治にも通じる命題であろう。

秦の滅亡から四年を経た紀元前202年、劉邦は漢の高祖となり、長安を都として新たな王朝を建てる。大いなる「虚」を初代皇帝に戴く漢帝国は、その後、前漢・後漢あわせて400年もの命脈を保つことになるのであった。

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