水埜正彦

元高校教員(国語科)。1963年生まれ。定年退職後、兵庫県加古川市に住んでいます。

水埜正彦

元高校教員(国語科)。1963年生まれ。定年退職後、兵庫県加古川市に住んでいます。

マガジン

  • オリエント・中東史

    中東史の連載記事です

  • 自作の歌について解説したものです。音源はyoutubeでお楽しみ下さい。

  • トピック

    近況報告や雑多な記事をまとめたものです。

  • 石垣りんと戦後民主主義

    2023年に詩人会議新人賞佳作を受賞した評論です。

  • トマトと楽土と小日本 ~賢治・莞爾・湛山の遺したもの~

    2021年に石橋湛山平和賞を受賞した論文の再掲です。長いので何回かに分けて連載します。おつきあい頂ければ幸いです。

最近の記事

オリエント・中東史⑭ ~イスラム教の誕生~

ササン朝ペルシアとビザンツ帝国の抗争が激化した7世紀初頭の610年、新たな商業交通路の要となったアラビア半島の都市メッカの商人であったムハンマドが、神の啓示を受けて伝道を開始した。イスラム教の誕生である。 ムハンマドは自らを最後の預言者と称し、カーバ神殿の主神アッラーを唯一神として崇拝し、喜捨や善行の義務を説いた。砂漠の厳しい自然環境と戦乱の時代を背景として、神への絶対的な帰依と服従を唱え、偶像崇拝を禁じ、六信五行などの具体的な実践を明確にした彼の教えは、布教当初は迫害を受

    • オリエント・中東史⑬ ~ササン朝ペルシア~

      紀元226年、遊牧イラン人主体であったパルティアを滅ぼし、農耕イラン人を主体としたササン朝ペルシアが建国された。初代の王はアルデシール1世で、首都はパルティアと同じくティグリス川中流域のクテシフォンに置かれた。アルデシールはササン朝がアケメネス朝以来のイランの伝統を正式に継承する王朝であることを知らしめるために、ゾロアスター教を国教化して宗教を核とした求心力の強化を図った。 アケメネス朝ペルシアが西方のギリシアと激しく争ったのと同様に、ササン朝ペルシアは西方のローマ帝国との

      • オリエント・中東史⑫ ~キリスト教の誕生~

        紀元前1世紀の中頃からパレスチナ地域はローマの支配を受けるようになった。前40年にローマ元老院からユダヤ王としての地位を認められたヘロデがエルサレム神殿の再建を行い、ローマ支配下でのユダヤ教による自治体制を築いた。しかしヘロデ王が死ぬとユダヤ人内部での紛争が起こり、紀元6年にはローマの直接支配を受ける属州となった。この時、ローマ総督としてパレスチナの統治にあたったのが、後にイエス・キリストを処刑することになるピラトである。 紀元28年、パレスチナのガリラヤ地方で預言者ヨハネ

        • オリエント・中東史⑪ ~パルティア~

          イラン系遊牧民によって建てられ、紀元前247年にセレウコス朝シリアから自立したパルティア(中国名:安息)は、約500年にわたってイラン高原を支配した。前238年に族長アルサケスによって王朝が開かれたため、別名をアルサケス朝ともいう。パルティアはアケメネス朝ペルシアやセレウコス朝シリアで採用されていたサトラップ(行政区)制を継承し、中央政府と地方勢力の均衡を保ちながら版図を広げていった。セレウコス朝シリアの滅亡後はメソポタミアにも支配を拡大し、ティグリス川沿岸のクテシフォンに遷

        オリエント・中東史⑭ ~イスラム教の誕生~

        マガジン

        • オリエント・中東史
          14本
        • 22本
        • トピック
          8本
        • 石垣りんと戦後民主主義
          5本
        • トマトと楽土と小日本 ~賢治・莞爾・湛山の遺したもの~
          9本
        • 中国史
          60本

        記事

          オリエント・中東史⑩ ~プトレマイオス朝エジプト~

          アレクサンドロス帝国の解体後に鼎立したヘレニズム三国の中で最も繁栄したのがプトレマイオス朝エジプトである。アレクサンドロス大王の有力な後継者(ディアドコイ)のひとりであったプトレマイオス1世によって建国され、首都アレクサンドリアはヘレニズム文化の中心地となった。アレクサンドリアには自然科学から人文科学まで幅広い分野にわたる総合研究センターのムセイオンが設立され、大図書館(ビブリオテケ)も併設された。幾何学の大成者エウクレイデス(ユークリッド)、梃子や浮力の原理を発見したアルキ

          オリエント・中東史⑩ ~プトレマイオス朝エジプト~

          オリエント・中東史⑨ ~前2世紀のオリエント世界~

          アレクサンドロス帝国の解体後、オリエントにはアンティゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリアが鼎立したが、前3世紀中頃にアフガニスタン地域のバクトリア、イラン高原のパルティア(安息)がシリアから独立、さらに前2世紀にはパレスチナ地域でアラビア文字の原型を作ったナバタイ王国やユダヤ人のハスモン朝が独立し、前2世紀のオリエント世界は多様な国家が分立する時代となったのである。 バクトリアはギリシア系、パルティアはイラン系の民族が建てた国である。アフガニスタ

          オリエント・中東史⑨ ~前2世紀のオリエント世界~

          オリエント・中東史⑧ ~ヘレニズム~

          三度にわたるペルシア戦争とその後のペロポネソス戦争によって疲弊した古代ギリシアとアケメネス朝ペルシアの間隙を縫って、バルカン半島北部の小国であったマケドニアが台頭した。紀元前338年、フィリッポス2世に率いられたマケドニア軍がカイロネイアの戦いで、ギリシアのアテネ・テーベ連合軍を破る。フィリッポスは部下に暗殺されたが、彼の息子であるアレクサンドロスが父の野心を引き継いで大王を名乗り、東方への大遠征を開始した。 前333年、地中海東岸のイッソスの戦いで、マケドニア軍とペルシア

          オリエント・中東史⑧ ~ヘレニズム~

          オリエント・中東史⑦ ~アケメネス朝ペルシア~

          紀元前550年、イラン人の一系統であるペルシア人のアケメネス朝が、現在のイランの南西部ペルシア湾岸地方を根拠地として、四王国時代のメディアから独立した。国王キュロス2世は軍を率いてメディアを滅ぼし、次いでリディアと新バビロニアをも打ち破って両国を併合した。後継のカンピュセス2世は、前525年にエジプトを滅ぼして全オリエントを統一。ここにアッシリア以上の広大な版図を持つ世界帝国が誕生したのである。 ペルシア人とは、インド・ヨーロッパ語族のイラン人の一系統であり、前7世紀に興っ

          オリエント・中東史⑦ ~アケメネス朝ペルシア~

          オリエント・中東史⑥ ~四王国分立時代~

          アッシリアの滅亡後、オリエントはエジプト・リディア・メディア・新バビロニアの四王国分立時代に入った。これらの国々は、それぞれ支配語族が異なる。エジプトはハム系、リディアとメディアはインド・ヨーロッパ系、新バビロニアはセム系である。すなわちオリエントには、古くから言語体系の大きく異なる民族が混在していたということだ。新バビロニアに建設された高さ90mのジッグラト(聖塔)は旧約聖書に登場するバベルの塔のモデルといわれるが、聖書の記述では、人間が天に届くような塔を建て始めたことに神

          オリエント・中東史⑥ ~四王国分立時代~

          オリエント・中東史⑤ ~アッシリア~

          前3000年紀頃メソポタミア北部に興ったアッシリアはシリア・メソポタミア・アナトリア・イラン高原を結ぶ交通の要衝として中継交易で栄えたが、前9世紀に至るまでは、周辺のアッカド王朝やウル第三王朝やミタンニ等の支配を受ける弱小勢力に過ぎなかった。この時代のアッシリアを、後の帝国時代と区別して古アッシリアと呼ぶ。 アッシリアがオリエント世界全域を支配する帝国へと変貌する契機となったのは、前1200年頃に突然滅亡した軍事大国ヒッタイトが独占していた鉄器製造技術を継承したことである。

          オリエント・中東史⑤ ~アッシリア~

          オリエント・中東史④ ~レヴァント~

          現在のシリア・レバノン・パレスチナ・イスラエル地域にあたる地中海東岸地方を総称してレヴァントと呼ぶ。交易の要衝にあったこの地は、肥沃な三日月地帯と同様に、古くから諸勢力の争奪の対象となった。紀元前13世紀から12世紀にかけてアナトリア地方から船団を組んで移住した「海の民」との接触により海洋民族化したフェニキア人は、レヴァント地方を拠点として地中海交易で活躍した。アフリカやアラビアの香料・金・銀・象牙、フェニキアのガラス製品等が主な交易品であったと思われる。商業活動上の必要から

          オリエント・中東史④ ~レヴァント~

          オリエント・中東史③ ~エジプト文明~

          メソポタミアでシュメール人の都市国家文明が栄えていた紀元前3000年頃、北アフリカのナイル川下流域で定期的な洪水を利用した農耕を営んでいた古代エジプト人の統一王朝が出現した。エジプトでの農耕の開始は前5000年紀頃とみられ、メソポタミアよりも遅かったものの、統一王朝成立はメソポタミアより早かったことになる。最初の王国は、それまでのノモスという小国家の分立を経て統合形成されたものであり、現在ではエジプト古王国と呼ばれている。古王国の時代には、灌漑農業の発達や青銅器の使用に加えて

          オリエント・中東史③ ~エジプト文明~

          オリエント・中東史② ~アッカド王国・バビロン第一王朝~

          紀元前2300年頃、メソポタミア北部のアッカド人が勢力を増し、南部のシュメール人都市国家を次々と征服してメソポタミア全域を支配するアッカド王国を作り上げた。アッカド王国のサルゴン1世は主要な交易路を抑えて版図を広げ、孫のナラム・シン王の時代には西はアルメニアから東はイラン西部のエラムまで勢力を伸ばした。アッカド人はアラブ人やヘブライ人と同系統のセム語系の民族であり、王国の支配の拡大によってアッカド語がメソポタミアの公用語となったが、アッカド人は文字を持たなかったので、シュメー

          オリエント・中東史② ~アッカド王国・バビロン第一王朝~

          オリエント・中東史① ~メソポタミア文明~

          「オリエント・中東史」の連載を始めます。この地域の歴史は複雑で、40年以上前の大学受験の際にも非常に苦労した思い出があるのですが、今だからこそ改めてアプローチする意義があると思っています。 イスラエルのガザ侵攻から半年、ジェノサイド(大量虐殺)としか言いようのない惨劇が日々繰り広げられています。シリアの内戦、クルド民族への迫害、イランと諸国の確執などなど、中東をめぐる状況には未だ改善の兆しが見えません。何故こんな惨状になってしまったのか、歴史をひもときながら考えていきたいと思

          オリエント・中東史① ~メソポタミア文明~

          TOO MUCH MEMORY

          スーツケースひとつ抱え僕らはこの町に着いた それぞれの昨日を引きずりながら うつむいて手探りでひとつひとつ言葉を交わした 震えてた唇を寄せ合いながら 覚えてる 夏の夜 燃える篝火 花火の音 夕闇の匂い 忘れない 君の横顔 いつまでも此処にはいられない  それはわかっていたけど TOO MUCH MEMORY, SO HARD TO SAY GOOD BYE 耳の奥に今も君の歌声が残っている TOO MUCH MEMORY, SO HARD TO SAY GOOD BYE

          TOO MUCH MEMORY

          Nice To Meet You

          毎日会って話してたなんて 嘘みたいだね 夢みたいだね 明日からもう会えないなんて 嘘みたいだけど本当なんだ あんなにも逃げ出したいと思ってた場所が こんなにも愛おしく思えるなんて Nice to meet you 君に会えて良かった Nice to meet you ここで会えて良かった 精一杯 君は背伸びをしてたね 僕の肩につかまりながら いつのまにか僕を追い越して 君の瞳は遠くを見てた 野に咲く花が鮮やかに目に映るのは 雪の重さが大地をあたためたから Nice

          Nice To Meet You