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トマトと楽土と小日本 ~賢治・莞爾・湛山の遺したもの~④

莞爾の満州建国構想に対して、早くから満州放棄論を唱えていた石橋湛山に話を戻そう。満州事変に先立つこと10年、1920年代初頭には、湛山は満州を含む全植民地の放棄こそが日本の採るべき道であるとする大日本主義放棄論を体系的に構築していた。その一部を抜粋してみよう。

『予は、年来、朝鮮、台湾、樺太も棄てる覚悟をしろ、支那やシベリヤに対する干渉は勿論やめろ、之れ実に日本の対外政策の根本なりと主張する者である。
……朝鮮、台湾、樺太、乃至満洲を抑えて置くこと、又支那、シベリヤに干渉することは、果して爾かく日本に利益であるか。利益の意味は、経済上と軍事上の二つに分れる。先ず経済上より見るに、蓋し此等の土地が日本に幾許の経済的利益を与えておるかは貿易の数字で調べるが一番の早道である。今試みに昨大正十年度の貿易を見るに、日本の内地及び樺太に対し、
        移出        移入        計
朝鮮   197,392千円    156,482千円    353,874千円
台湾   128,896千円     93,521千円    222,417千円
関東州  111,931千円     77,569千円    189,500千円
 計   438,219千円    327,572千円    765,791千円
であって、此の三地を合わせて、昨年、我国は僅かに七億余円の商売をしたに過ぎない。同年、米国に対しては輸出入合計10億円、印度に対しては約3億円、則ち印度との貿易は、台湾又は関東に対する貿易よりも大きく、又米国との貿易に至っては、朝鮮、台湾、関東州の三地に対する商売を合せたよりも、尚二億円余多いのである。……
  (1922年5月 亜細亜公論「日本は大日本主義を放棄すべし」より)』

湛山はまず経済的観点から、朝鮮・台湾・関東州の三植民地と米・印の貿易額を具体的な数字を挙げて比較し、日本経済においては後者の方が圧倒的に重要であり、日本に不足している資源供給の面から考えても、植民地ブロック経済による帝国主義路線よりも、全ての植民地を放棄して自由貿易促進による貿易立国を目指す方が得策であることを説く。さらに彼は、政治・外交的観点から、中国領土の一部であって多数の中国人が居住する満州を領有しようとすることは中国国民の反日感情を激化させるのみならず、諸外国からの非難をも被るものであること、人口・移民的観点から、無理に海外への移民政策を取らずとも日本国内で十分に現在の人口を養えること、軍事的観点から、膨張政策による軍事費の増大は国家財政を圧迫し、日中・日米関係を悪化させる危険を孕んでいること、国際関係的観点から、満州支配は日本の国際的孤立を招くということを、豊富なデータを駆使して合理的に整理し、満州の領有は日本の国益を損なうと結論付けたのである。

湛山は自らを功利主義者だと称している。自国の利益を根本とするからこそ相手の利益も尊重せねばならない。現代風に言えば Win-Win の関係を築くことこそが自らの利益を長期的に確保するために必須の要素なのであって、植民地の放棄は曖昧な道徳論によるものではなく、徹底した功利主義に基づくものだと実証的に示したのだ。

だが、莞爾を含め、当時の日本国民の多くは湛山とは真逆の立場をとった。すなわち、「満蒙は日本の生命線」であり、海外領土の拡大こそが現状打破への唯一の道だと思い込んでいたのだ。そこには、朝鮮・台湾・満州が、日清・日露戦争における多大なる犠牲の上に勝ち取った領土であって、それを自ら放棄するなど言語道断だとする情緒的な思考が働いていた。経済学で言うところの「コンコルドの誤謬」の典型であろう。

「コンコルドの誤謬」とは、将来の損失が予測できているにも関わらず、それまでに費やした資金や労力の見返りを得ようとして投資を続け、更に損失を拡大させてしまう愚行を指す。当時の日本の民衆が殊更に愚かだったわけではない。いつの時代でも、どこの国でも見られる現象であり、もちろん現代の私たちも、日常の小さな選択から人生の大きな選択に至るまで、同様の罠に陥る危険性は常にある。だからこそ、過去の歴史を我が身に置き換えて謙虚に学ぶ姿勢が大切なのだ。

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