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連載中国史5 周

殷の紂王を放伐して周王朝を開いた武王は、邑制国家の形態を維持しながら一族・功臣を族邑に封じて諸侯とし、血縁を基盤とした縦の序列による封建制を敷いた。周王は諸侯に封土(土地)を与え、諸侯はそれに対して軍役や貢納で報いる。諸侯は家臣を卿・大夫・士と序列化して封土を与え、同じく見返りに軍役や貢納を得る。すなわち、縦のギブ・アンド・テイクの関係によって秩序を保ったのだ。

周の封建制度(「グシャの世界史探究授業」より)

血縁による縦の秩序を安定させるためには、祖先崇拝のメンタリティが共有される必要がある。周王朝は、先祖を祀り敬う「礼」の精神を重視した。殷代から周代にかけて発展した青銅器には多くの文様が施され、現代も中華料理の食器などにその跡をとどめている。青銅器は単なる食器ではなく、重要な祭祀に用いられる国家統合の象徴でもあった。「大器晩成」とか「器が大きい」などの慣用句に見られるように、人間にとって「器」とは、古くから単なる入れ物以上の意味を持ち得ていたと思われるのである。

周時代の青銅器(Wikipediaより)

武王が紂王を武力で討伐した際、伯夷・叔斉の兄弟が武王を諫めたエピソードが史書に残されている。彼らは武王の前に立ち塞がってこう言った。「父上の文王が亡くなって間もないのに戦を起こすのが孝と言えましょうか。主君に当たる紂王を武力で滅ぼすのが仁と言えましょうか」と。結局、彼らの願いは聞き入れられず、太公望呂尚を軍師に立てた武王が紂王を討ち滅ぼしたのである。伯夷・叔斉はそれに抗議して首陽山に籠もり餓死したという。

武王を諫める伯夷・叔斉(www.iwanami-art.jpより)

このエピソードでは、武王の前に立ち塞がった彼らを殺そうとした兵士たちに対して、呂尚が「彼らは正しい」と述べているのが印象的だ。この時代において、「孝」や「仁」という徳の重要性が既に共有されていたことを示しているからだ。儒学の祖である孔子が「仁」や「礼」や「孝」などの徳を説き始めるのは更に数世紀後だが、この時点で既に、縦の社会秩序を支える道徳が中国社会の共通了解事項になりつつあったことが、この逸話から覗えるように思われるのだ。

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