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連載日本史252 朝鮮戦争(1)

1950年6月25日、北朝鮮軍の不意の侵攻によって始まった朝鮮戦争は当初は北朝鮮側の圧倒的優位のままに進み、3日後には韓国の首都ソウルを占領するに至った。韓国軍は朝鮮半島の南東部に追い詰められ、釜山を臨時首都とした。国連安保理事会は、ソ連欠席のまま、米国による国連軍指揮を決定。国連軍は9月に朝鮮半島東岸の仁川に上陸し、反撃を開始した。ソウルを奪回した国連軍は、逆に北朝鮮側へ攻め上り、翌月には北朝鮮首都の平壌を占領した。朝鮮半島北部に追い詰められた北朝鮮軍に対し、今度は中国からの義勇軍が鴨緑江を越えて援護に入り、平壌を奪回した上、翌年にはソウルを再占領。さらに国連軍がソウルを再奪回し、戦線は北緯38度線で膠着状態となった。

朝鮮戦争関係地図(asahi.comより)

当時の北朝鮮のトップは、ソ連のスターリンと中国の毛沢東のバックアップを受けた金日成、一方、韓国のトップは米国のバックアップを受けた李承晩であった。国連軍の最高司令官はマッカーサーであったが、核兵器の使用や中国への爆撃を主張したことでトルーマン大統領と対立し、解任された。その後、2年にわたって南北間での交渉が行われた末に、1953年7月、38度線を軍事境界線として板門店で休戦協定が成立した。「終戦」ではなく、あくまで「休戦」である。これをもって戦闘行為は終結したものの、朝鮮半島の南国分断が固定化されることになったのである。

李承晩と金日成(plaza.rakuten.co.jp)

朝鮮戦争は日本の政治経済に大きな影響を与えた。まず、不況にあえいでいた日本経済は、戦争による特需景気によって一気に息を吹き返した。綿布・麻袋などの繊維製品や鋼材・トラック・ドラム缶などの金属製品、いわゆる「糸(いとへん)」と「金(かねへん)」の製品需要が跳ね上がったのだ。たとえば、倒産寸前だったトヨタ自動車は、トラックの大量注文が舞い込んだことによって一気に黒字に転換した。鉱工業生産は1949年から53年までの4年間で倍増した。不謹慎な話ではあるが、隣国の戦争は日本の経済復興への思わぬ追い風となり、占領体制からの独立の契機ともなった。ただしそれは戦争の影響を色濃く受けた独立であり、手放しで喜べるものではなかったのである。

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