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トマトと楽土と小日本 ~賢治・莞爾・湛山の遺したもの~⑥

湛山が満州放棄の論陣を堂々と張り、莞爾が柳条湖事件で強引に満州領有へと踏み切り、五・一五事件で犬養毅首相が凶弾に倒れ、不穏な空気が日本全体を覆いつつあった1930年代初頭、宮沢賢治は花巻の実家で病床にあった。長年の過労が祟り、肺病に冒されていたのだ。死を迎える10日前に病床から教え子に書き綴った手紙が事実上の遺書となった。
 
『………私のこういう惨めな失敗は、ただもう今日の時代一般の大きな病、「慢」というものの一支流に誤って身を加えたことに原因します。僅かばかりの才能とか器量とか身分とか財産とかいうものが、何か自分の体についたものででもあるかのように思い、自分の仕事を卑しみ、同輩を嘲り、今にどこからか自分を、いわゆる社会の高みへ引き上げに来るものがあるように思い、空想をのみ生活して、かえって完全な現在の生活を味わうこともせず、幾年かが空しく過ぎて、ようやく自分の築いてきた蜃気楼の消えるのを見ては、ただもう人を怒り、世間を憤り、従って師友を失い、憂悶病を得るといった順序です。あなたは賢いし、こういう誤りはなさらないでしょうが、しかし何と言っても時代が時代ですから、十分に御戒心下さい。風の中を自由に歩けるとか、はっきりした声で何時間も話ができるとか、自分の兄弟のために何円かを手伝えるとかいうようなことは、できない者から見れば神の業にも等しいものです。どうか、今の御生活を大切にお護り下さい。うわのそらでなしに、しっかり落ち着いて一時の感激や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんで生きていきましょう。……』
 
死を目前にして賢治は自らの人生についての後悔を赤裸々に語り、自身の生涯を「失敗」と断じ、その原因を「慢」の一字で表現している。「慢心」「傲慢」の「慢」であろうか。時代と自分の中に巣食った思い上がりの心が、このような惨めな「失敗」を引き起こしたのだと賢治は言う。

確かに賢治の多方面にわたる試みは、すべて「失敗」に終わったかのように見える。羅須地人協会での農民啓蒙活動は中途で挫折し、土壌改良も思うようにいかず、布教活動は空回りし、詩集や童話は売れず、恋愛も(たぶん)成就せず、あちらこちらに迷惑をかけた挙句、生きているうちには、確実な成果をほとんど残せなかったからだ。

しかし今、賢治の童話は世界中で愛読されている。彼が目指した農村の改革は、戦後の農地改革を経て、紆余曲折を経ながらも幾分かの具現化をみた。彼の愛した花巻の地は「宮沢賢治」というブランドを核として地域活性化に取り組み、地球環境問題への関心の高まりを背景として、自然と人間の共生を掲げるイーハトーブ思想の発信地となっている。彼が生前に成し得たことは、成そうと試みたことの壮大さに比して、あまりに小さかった。だが、彼の壮大な志は、それが生前には成し遂げられなかったものであるからこそ、後世に受け継がれ、時代を超えて、多くの人々を巻き込んだ繋がりを創り出したのだと言える。そういう意味では、彼の生涯は、決して「失敗」だったのではなく、「未完」に終わったというだけなのだ。そしてそれは、大きな広がりを持ったうねりを生み出す、豊かな「未完」であったのだと思うのである。

賢治の短い生涯から私たちが学び取ることができるのは、何を成し得たかよりも、何を成そうとしたのかが大切なことも多々あるということだ。彼の人生は壮大な未完成だった。だからこそ、後世の人々が「参加」できる余地があり、時代を超えた「共同作業」の余地が残されていたのだ。

彼の死後に遺された原稿をもとにして発表された代表作「銀河鉄道の夜」には、そんな未完の言葉の断片が、暗黒の宇宙に瞬く幾多の星々のように散りばめられている。
 
 ――ぼくは、おっかさんが本当に幸せになるためなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸せなんだろう?――
 ――天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで、天上よりももっといいとこをこさえなきゃあ。――
 ――誰もがみんな、自分の神様のことを本当の神様だと言うだろう。だけど、他の人の神様がしたことでも涙があふれるだろう。――
 
賢治が傾倒した日蓮の思想は、先述したように日蓮が邪法とみなす他宗派への容赦ない批判と強烈な国家意識に支えられたものであった。国柱会の田中智学が唱えた「八紘一宇」が後に軍国主義日本のスローガンへと転化していく過程にも、日蓮思想とナショナリズムの親和性が見て取れる。しかし、ここに表れている賢治の思想は、ファンダメンタリズム(宗教的原理主義)やナショナリズムというよりは、その対極にある多文化共生やコスモポリタニズム(世界市民主義)に近いものだと言えよう。冒頭に掲げた「農民芸術概論」の一節、「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」という言葉は、解釈によっては全体主義につながりかねない危うさを孕んではいるものの、こうした文脈上に位置付けてみれば、ナショナリズムを入り口としながらコスモポリタニズムに至る、賢治の思想の遍歴が刻印されたものだと言えるかもしれない。

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