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新しい毎日《後編》 #写真から創る

※ この作品の後編です。前編をお読みになってから、どうぞ。

 

 年下の男は、優しかった。
 決して私の自由を奪うことはせず、私にそっと寄り添った。彼自身の部屋は借りたまま、私の部屋で夜を明かして仕事に出かけ、週に1度、郵便物を取りに自分の部屋へ戻る。別々に過ごす夜の予定は、互いに干渉することもない。
 けれど、ふたりの休みが重なる日曜には、フォンダンショコラのような時間が待っていた。出かけていても、籠っていても。

「アパート、解約しようと思って」とヒデがにこやかに言った2年前、私は緩みかけた頬を戻して真顔で止めた。その申し出が、嬉しくなかったわけがない。内心は飛び跳ねて抱きつきたいほどだった。
 でも、私には彼の人生を背負う自信はない。
 30にも満たないこの若者の未来を、私みたいな年を取っていくだけの女が奪ってはならない・・・そう思ったから。

 

 

 雪は上がったけれど外は冷えていて、ベランダの雪はなかなか解けそうにない。涙を吸ったTシャツを手にしたまま、のろのろと立ち上がる。シンクには今朝のふたりの食器が重なっていて、壁には、いつの間にか長い影がのびている。
 喉がカラカラだった。何か飲まなければ。

 

 不意に音を立てて、ドアが開いた。
「もう荷物まとめちゃったの? めちゃくちゃ仕事速いけど、これ、ひでぇなぁ。あぁ、ねぇ、もう何やってんの。俺のTシャツ抱いちゃって」
 そう言って、ヒデは大袈裟に肩をすくめて笑い、何事もなかったようにダイニングのいつもの場所に座った。手には不動産屋の封筒を持っている。

「俺のこと、真剣に追い出そうとしてるでしょ? 俺、あっちのアパート解約するって、大家さんに連絡した。新しく広い部屋借りようと思って。店の近くにさ。それから・・・あ、座って」

  

 わけが分からない。どうして店の近くに借りるんだろう。
 私が座るのを待って、彼はじっと目を見ながら、話し始める。

 

 あんなこと言わせちゃって、ごめん。
 年の差のこと考えて踏み切れないのも解ってたのに、気持ちを上手く説明できなくて、感情的に“出ていく”って言ったのも、ごめん。頭んなかぐちゃぐちゃで何か言葉が出てこなくって、たぶんひどいこと言ったよね。悪かった。信じて欲しいのに、あなたひとりなのに、何で「私じゃない人と」なんて言われるんだろうって思ったら、哀しくて、腹が立って、いたたまれなかった。

 でもね、雪のなか歩いていて思ったんだ。
 あなたを不安にさせないように、俺、ずっと傍にいたい。あなたがしわくちゃのおばあちゃんになっても、隣で笑ってたい。

 あのね、和輝くんにさ、電話して会ってきたんだ。・・・うん、そうだよ。さっき。ちゃんと俺の気持ちを伝えておかなきゃって思ったから。俺の親にも、さっき電話で話した。感染状況が良くなったら、一緒に会いに行ってほしいんだ、島根に。

 

 そこまで一気に話して、彼は封筒から紙を取り出した。

「婚姻届もらってきたんだ。緊張して間違えるといけないから、3枚もらってきた。指輪とかは間に合わなかったから無いけれど・・・結婚、してください」

 差し出された用紙の文字がかすむ。それは、老眼のせいだけじゃないはずだ。
 顔を上げると、目が合った。潤むヒデの瞳のなかに、私がいる。
 いいのだろうか。この手を取って。
 いいのだろうか。幸せになっても。

 そっと目を閉じると涙があふれて、彼の冷えた指先が、それを拭った。
 いいよね。
 私、この人に甘えても。

 彼の目を見て、私は答えた。
「はい。よろしくお願いしま・・・」
 言い終わらないうちに言葉は嗚咽となって、彼は私の頭を乱暴に撫で、そして泣いた。

 

 いつの間にか外は暗くて、また、雪がちらちらと舞い始めている。
 ここから始まる、新しい毎日。
 変わらないけれど、何かが始まる明日。
 この一日を、この雪の日の出来事を、私は生涯忘れないだろう。
 私は、彼と生きていく。

 

 

 

この小説は、#写真から創る 企画の参加作品です。

 しめじさん。いつも楽しい企画をありがとうございます!
 今回も、楽しんで書かせて頂きましたよ♪
 みなさんの結末の予想は、いかがだったのでしょう? 聞いてみたいなぁ。

ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!