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空地

親友と何度も「近いうちにここでバレーとか練習しようね」と言いながら自転車で通り過ぎただだっ広い空地で
大きな大きな建物の建設工事が始まった。

毎日通る道なのに工事が始まることを今の今まで知らなかなかった。

お知らせがデカデカとかかれた看板、気づかないもんかね、私。

空き地でのバレーの練習は結局一度も叶わないまま私たちは高校を卒業した。

二人とも本気でバレーがしたかったかというと、違った気がする。

ただ、日にちも時間も決めないぼんやりとした「近いうちに」は確かに互いの頭のなかに描くことが出来たんだ

今思えば、空地からそこそこ離れたお互いの家に帰り、制服から私服に着替えてバレーボールを持ってまた自転車を漕ぐのが単純に面倒だった。

でも私はそのぼんやりとした約束を話すとき
いつもワクワクした。
本当とか嘘のわっかに接する心配のない空間でやりとりすることは尊い。

同じ制服を着て同じ道を自転車で通って

お互いの家に向かう別れ道の踏み切りで少し止まるその瞬間まで他愛もない話をし続ける、

卒業という明確な区切りが必ず来る限られた時間

なんでもないやりとりが柔らかな思い出になった。

空地はもう私にとって過去の場所なのかもしれない。

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