変わりゆくもの

気が付いたらおとなになっていた、というのが最近の感想である。おとな、と言っても中味がどうというわけではなく、年齢が充分「大人」と呼ぶのに達しているのだということに、ふとした瞬間に自覚するのだ。

直接的、あるいは間接的に同級生の結婚を知ることが最近増えてきた。今週末は大阪で同じゼミだった子の結婚式に参列する。ご祝儀はいくら、ドレスに髪飾りに美容室…と慌ただしく準備をしながら、そうか、もうそんな年に差し掛かっているのかしら、なんてぼんやりと思うのだった。

まだ時間は高校生の頃と同じような気さえする(といったら少し図々しいかしら)。中学時代からの友人に久しぶりに会ったとき、「M子は変わってしまった。おとなになったようでさみしい」と繰り返し言われた。

ぜんぜん変わってないよー、せいぜい化粧が少し上手くなって顔のアラを隠せるようになったくらい(笑)と冗談めかして返したけれど、そうだ、私たちはあの頃のままではないのかしれないと思った。

無邪気に茜色の渡り廊下を、重く長い黒い制服のスカートを翻しながら走った日、放課後の部活の声、取り残されたような静かな教室でぼんやりと物思いに耽った日……。青春と呼ぶにはあまりにも質素な、それでいて私のなつかしい日々からもうずいぶんと遠ざかりつつあるのかもしれない。

それでもあの頃のように、何も考えず友人と笑い合う時間は私を過去へと引き戻す。「おとな」にならないといけない私ではなく、まるで昔と変わらない子供の頃のように。

いつの間にかもう大人だから、という言葉が脳裏に焼き付いて、大人だからこうしなきゃ、大人だからああしなきゃ、なんて。いつの間にか、言葉に縛られ生きていた。

それでも時間は流れるように進んでいく。フィッツジェラルドの言葉を借りて言うならば「過去に引き戻されながらも進んでいく」。過去を懐かしむことはあっても、過去に留まることはできない。時代も人も、変わらないものはない。ほんのひとさじの思い出だけを忘れずに、時折思い出せるように大事にふたをして、生きていこうと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?