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【タイ】サンクラブリー訪問記(6)

結果としてボランティア活動をしに訪れたサンクラブリーの訪問記。今回で連載最終回ですが、少し政治的に微妙な内容を含む為、有料記事としております。対価を頂きたい訳ではありませんので、もし、ご興味を持って頂き課金(購入)頂いた分は全て以下を通じて学校運営者に募金させて頂きます。

当方になんら政治的な思惑や、思想を押しつける意図、特定の宗教団体等との関わり等はございません。但し、この手の記事は、読み手の価値観によって曲解される恐れがあり、有料課金はリスク管理の観点もあります。ご理解頂ければ幸いです。

また、どのような人たちが、どのような人を対象に、どのような思いでどのような活動しているかが気になる方は、主催者側のウェブサイトをご覧ください。(私は、先入観を持ちたくなかったので、事前に下調べ調べもせずに、人づてに聞いた話のみで、いきなり現地を訪れました)

最終回は、なぜタイの辺境の1つであるサンクラブリーの地で、国籍を持たない「少数民族」の子供たちが、教育機会にも恵まれない状態に置かれているのか、という事実の裏のある「背景」について、筆者が調べたり、現地で聞いたり、考えたりしたことをまとめたものになります。ここまで読んで対象なりともご興味を持たれた場合には、読み進めて頂ければと思います。

1.当地と日本との縁 - 泰緬鉄道

サンクラブリーは、タイのカンチャナブリー県内の北端に位置していますが、「戦場に架ける橋」で有名なクウェー川鉄橋やカンチャナブリー市街地から200km以上離れており、比較的早く目的地に着く乗り合いワゴン車でも市街地から約3時半かかります。

サンクラブリーに至る道程は、太平洋戦争中に日本軍がタイとビルマを結ぶ軍用鉄道として敷設した泰緬鉄道のタイ側ルートに相当します。戦時下に敷設された泰緬鉄道は、現地の人々や戦争捕虜等の強制労働で数多くの死者を出したことから、「Death railway(死の鉄道)」と呼ばれることになった悲しい歴史があります。

ただ、この悲しい歴史は、皮肉にも多くの観光客を惹きつける観光地としての「魅力」の1つになっています。過去の戦争を振り返る際に、泰緬鉄道については、日本人として知っておくべきことの1つかと思います。

ただし、ここで詳細に入ることは本稿の趣旨からは外れるので、これ以上は触れませんが、「泰緬鉄道」をキーワードにネット検索するだけでも色々と出て来ます。

2.カレン族

サンクラブリーはミャンマーとの国境地帯ということもあり、ミャンマー側から移動して来た人々がたくさん住んでいます。その中でもカレン族は、1948年のミャンマー独立以降、2012年までミャンマー政府と交戦状態にありました。2016年にミャンマーの民主化が成ったのも、主たる反政府武装勢力であるカレン族との停戦合意が背景にあります。但し、カレン族はミャンマー政府といまだ対立状態が続いていることに変わりはありません。

なお、独立国家樹立を目指してずっと武力闘争を継続してきたカレン族が軍事力を削がれる直接的な契機となったのは、1990年代に計画された外資主導でのミャンマーの海底ガス田開発プロジェクトでした。

その名もヤダナ・ガス田。海底から吸い上げた天然ガスを、消費地であるタイに向けてミャンマー国内のカレン族居住地域にガスパイプラインを通すことになり、12億ドル規模の資金が投下されました。1995年にかけてミャンマー軍事政権がカレン族を強制移住させるべく掃討作戦を実行した結果、難民化したカレン族が10万人規模で発生し、多くがタイ側に逃れて来たという経緯があります。

ただ、このカレン族ですが、ちょっと謎めいているのです。というのも、統一的な言語も文化を持たない「民族集団」だからです。本来、一括りで語ろうにも無理があり、宗教一つを取り上げても、伝統的な精霊信仰の風習を守っている人たち、仏教の影響を強く受けている人たち、植民地時代からの宣教師の影響でキリスト教を信じる人たち等がおり、村落ごとの民族衣装や風習などは多種多様です。

山岳民ですので、もともと居住域は分散していました。しかしミャンマー政府と激しく対立する中で「一致団結」し民族統一戦線が張られることになりました。しかし実相は、言語も文化も異なる多様な人々です。カレンという言葉自体が、一説では「非仏教徒」を意味するモーン語である「カイン」が英語化した際に訛ったもと言われています。モーン語で「文明(≒仏教)を捨てた人」を意味する「カニアン」から来たという説もありますが、いずれにせよ差別用語で、もともとからして外部からの呼称に過ぎません。当然、カレン族の人たち自身「自分たちはカレン族だ」と思っている訳でもなく、カレン族の人に何族なのかを聞いても違う言葉が返って来るとのことです。他のカレン族を指して「あいつらと俺たちは違う」等の主張されることも多いそうです。

また、イギリスによる植民地経営に協力的だった少数民族の中にはキリスト教化したカレン族が多かったという歴史もミャンマー政府(軍事政権)との対立の構図の基礎にあります。第二次世界大戦中の1942年、日本軍が植民地解放を名目に英領ビルマに侵攻した際(ビルマの竪琴の頃)には、ビルマ解放軍(仏教徒のミャンマー人)や日本軍によって殺されたカレン族の指導者が多かったそうです。

1990年代半ば、ミャンマー政府軍の掃討作戦で難民化したカレン族の中には、米国やカナダ、オーストラリア、北欧諸国に難民として数万人規模で移住しました。欧米メディアによるミャンマーの軍政批判は、キリスト教化したカレン族への同情がベースにあると考えていいでしょう。いまもキリスト教布教のミッションの一環でタイ側に住むキリスト教徒のカレン族の村を訪れる欧米人がいます。一方、仏教徒のカレン族はミャンマー政府との停戦合意に応じて、ミャンマー国内で自治権の拡大を目指す道を選びました。1995年の統一戦線崩壊とカレン族の「首都」マナプロウ陥落の主原因を作ったと言われていますが、タイに向かうガスパイラインがマナプロウの近くを通す計画になった為でもあります。ヤダナ・ガス田にはタイ国営石油会社であるPTTが25%出資し、パイプラインを通じたガスの売り先もタイ電力公社(EGAT)ですから、民族統一戦線分断工作には状況的からして、仏教国タイの意向が働いたと見るのが自然でしょう。

3.モーン族

モーン族は、東南アジア最古の民族の一つと言われ、例えば、タイ族が台頭する以前、タイ北部のランプーンは12〜13世紀にモーン族の王朝であったハリプンチャイ王国が最盛期を迎えた所です。訪れると街にも名残を感じさせる遺構が目に止まります。

(ランプーン城壁跡:2016年、筆者撮影)

ハリプンチャイ王国が滅んだ後、モーン族は現在のミャンマーのペグー付近に移動しペグー朝を建てた歴史もあることから、今もミャンマー側に多くが住んでいます。

カレン族と異なり平地に住み、上座部仏教を信仰することから、タイ国内のモーン族はタイ人との同化が急速に進みました。サンクラブリーのモーン族村は、古来からのモーン族の風習を残している村として観光目的で訪れる人が増えて来ています。

実は、プラユット首相もモーン族の血を引くと言われています。単なる同化と言うよりも、完全に溶け合っている良い事例と言えるではないでしょうか。

4.山地の中で溶ける国境

タイとミャンマー間の国境地帯は、カレン族やモーン族の居住地域になっていることから国境が完全には確定しておらず、現地の人々は山中で容易に国境超えが可能になっています。国内航空路線が無い理由でもあるのでしょう。実際に、向こう側まで徒歩で行ったことがあるという人の話しも聞きました。

むしろ現地に住んでいる人の視点からすれば、山を降りると片側がタイで反対側はミャンマーというくらいの感覚で、普段意識するものでは無いのかも知れません。

国境線が見える形であるとすれば、行く手を阻む検問所でしょう。

サンクラブリーからカンチャナブリー市街地に向かう道には3ヶ所も検問があり、不法入国者を警戒しているのが伝わって来ました。反対にサンクラブリーに向かう道は検問が1ヶ所しかありません。

ただしチェックはある意味おざなりで、いくらでもすり抜ける方法はありそうなレベルでした。昔は検問での袖の下が当たり前だったとミャンマー人に聞いたことがあります。不法入国した人や無国籍の人は、タイにおける安価な労働力としてタイ経済を支えて来たのではないでしょうか?

5.結びに代えて

長年「閉ざされたまま」だった国境は、タイとミャンマーの関係改善、ミャンマーの民主化に伴い再び開放されました。しかし、タイ人・ミャンマー人以外は通行出来ないそうです。理由は、国境線の確定作業が難航しているからです。既に何回もの政府間会合が持たれているものの、外国人の通行を含めた完全開放には至っていません。

またミャンマー側は、ミャンマー軍、モーン族、カレン族とが、違いに撃ち合って縄張り争いを繰り返して来た場所です。ミャンマー側なのに既にタイ国籍を持つ者が所有している土地や家屋があったりと権利関係も複雑だそうで、国境を開放出来ないのは、国境通過に関して現場事情に疎い外国人の安全を保障できないと言う事情もありそうです。

国境と聞いて興奮する日本人は多いと思うのですが、私はそこに住んでいる人々の方に興味が湧いてしまいます。

日本人にとっては泰緬鉄道の因縁もあり負い目を感じるべきところではありますが、この地に住む子供への教育活動を通じ、未来志向で新たな善意の芽を育むことも、ひょっとしたら浮かばれずこの地で果てて行った先輩方に対する真の意味での供養の一つになるのではないでしょうか?

全ての記憶が風化していってしまう前に…

長い記事を最後までお読み頂きありがとうございました。

(完)

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