自分史1(思春期に不眠になる)

私の不眠やら対人恐怖やらはきっとほとんどは母の影響だったように思うのですが、今はあまり母を恨まずに済んでいます。

その道の途中ではとても許せない気持ちになることもたくさんありました。

恨まないで済むことがひとつのゴールだとわかって、そこに至るまでを書いていきたいと思います。


小学4年生から始まった、永遠に続く苦しみのように感じた中学受験からようやく解放されて、少し浮かれた状態で中学生になって、だんだんと日常で恐怖を感じることが増えてきてしまいました。

中学1年生の時、私服で外出することが苦手に感じるようになりました。

外出する前に、服装が変じゃないかとか、やたら鏡で確認するようになりました。

外を歩くと、自分は変じゃないかとか、人に見られたらどうしようとか思うようになり、気を抜くことがだんだん出来なくなっていきました。

自分の視線もとても気になり、どこに目をやったら正解なのかとか、自分でも変だなと思うのだけれど、気にしすぎて不安で外に出るのがだんだん苦手になっていきました。

中学2年生になると、夜眠れなかったら次の日キツイから、眠れなかったらどうしようという不安が出てくるようになり、本当に眠れなくなる、という悪循環に陥ってしまいました。

毎晩熟睡出来ない日が続いて気が狂いそうでした。昼間も眠たくてどうしようもないからと横になっても、どの瞬間も気持ちが緩まなくて、どうしても入眠できなくて、気を失いたいとかよく思っていました。

人間に電源オフするスイッチがついていればいいのにとか思っていました。

学校に行く電車の中でふと、今日は友達とうまく話せるだろうかとか、嫌われないかとか、不安が湧き上がってきて、行きたくなくて逃げたくてたまらなくなったりしました。

学校にいても家にいても気が休まる暇がなくて、どうすればいいのかわかりませんでした。

一方母は、私が眠れないことを相談すると、はあーっとため息をつかれ、「なんで眠れないの、どうしてあなたはそうなの」と責めてくるような感じでした。

(そうって、どういうどうなのか私にはいつもわからなくて、聞いても具体的な答えはいつも返ってこなくて、私はいつも混乱していました。私って、母から見ていつもどういう”そう”なのだろう?)

そして私は困り果てました。母は、「勉強勉強って追い詰めすぎたかな、ゆったり休ませてあげたほうがいいのかも」と方向転換してはくれないのだ、母の私への干渉は止まらないのだとわかってきてしまいましたが、それだと不眠への恐怖が増すばかりです。

母はとにかく私に勉強していて欲しかったみたいで、小学生の頃からそれは感じていましたが、感じすぎてとても息苦しかったです。

母は、自分の子供の女の子を、教養豊かに育てて立派にお嫁に出したいというような願望があったように思います。そして私への教育には強迫観念的なものがあったように思います。

極端にいうと、一つ間違えば、私が不良になってしまうかもしれないというような。それを防ぐために、日常の些細なことを注意したりして、それが父から見てもやりすぎているというような感じでしたが、母親ってそういうものなのかな、と子供ながらに思っていました。

面倒だなと思いながらも、私は割と要領よくやったり、母を安心させるように振る舞えたりできていた部分もあって、波風立てないように工夫できていたけれど、5つ上の兄は怒られるタイミングも何も予見できないみたいで、辛そうでした。でも私にはどうやって兄を助けられるのかわかりませんでした。

小学生の中頃までは、母からは結構可愛がられていました。

「いい子ね」と褒められることも多かったです。ところが受験が始まると、勉強を厳しく強いられました。勉強のことで厳しくされることが増えて、中学生になると、「私」を否定されることが増えました。

勉強面だけじゃなくて、友達のことで相談すると二言目には「あなたが悪い」と言われたり、日常の些細なこと、例えば今日はお風呂いいや、とか、逆に風邪引いてるけどお風呂はいる、とか言うと、「あなた信じられない」という言い方をされたり。”私”のことを否定していないと、不安で仕方がないというような気配を母に感じていました。

不安だから母はこういう否定をするんだと当時も頭ではわかっていたのに、「私は他人から否定されるような存在なのだ」というのが後々なかなか抜けないものとなってしまったように思います。

続きます。

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