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沈黙の効用:言葉にすることで切り捨てられるものがある

ブログの更新が随分と久しぶりになってしまいました。
毎日更新を続けることもできましたが、思うところあって敢えて更新を控えていました。
実は子どもの時からの得意技のひとつ、「空気を読むこと」。
いっていることと本音が違う人の本心を見抜いてしまったり、怒っていたり闘争モードの人がいると無駄に消耗したり。

人は見えなくても聞こえなくても、この見えない空「気」に影響を受けるわけで、常に自分の中心にいることを意識しないと思考や気持ちが乗っ取られてしまうもの。
だからこの数ヶ月は徹底して、情報を極力入れない、「今」の私が心地よく、私らしくあるのに、少しでもNOというものとは距離を置く、ということを意識してやっていました。

そしてそのきっかけは、「なんでもかんでも言葉にすればいいわけじゃない」、その思いが浮上したから。

生命の樹に描かれた「ダート」

旧約聖書の創世記(2章9節以降)にエデンの園の中央に植えられた木で、命の木とも訳され生命の樹は、その実を食べると、神に等しき永遠の命を得るといわれる。
東洋のアーユルヴェーダでいうところのチャクラの存在のように、西洋で語られる生命の樹。それは宇宙と人間の魂(本質)に関する、強力で実際的、一切を包み込む曼荼羅といわれており、あらゆる問題を解決するヒントといわれている。
生命の樹には10個のセフィラと呼ばれる球体があるのですが、この図のように人間の身体に対応させると喉のところに、「ダート」という11個目の球体があるといわれている。

この点線の玉、とても気になる存在ですよね、ところが。この点線の球体、エネルギー体についてはあれこれ意識していじる必要はなくて、なんと10個の球体を意識してクリーニングしていけば、11個目のダート(知識)は、必要なタイミングで勝手に立ち上がるといわれています。
そこで、自分の一つの課題を認識して、あえて「沈黙する」月日を過ごしていました。

言葉にする=限定するっていうこと

言葉は便利で、とても不自由なものだ。
「あなたは○○だから」、そう伝えることで、言われた人に○○と思い込ませる。
でも違う人は、
「あなたは△△だから」、そういう人もいるから△△のイメージが植えつけられる。
そうして外側からのイメージを自分に植えつけすぎることで、本来の自分(真我)がわからなくなる。
だからなんでも、言葉にすればいいってもんじゃないんだって。一種の洗脳に当たることもあるんだから。言葉に出すということはとても責任を伴う行為なんだ。

そして同時に、外側(第三者)からの言葉に依存させてしまうようであれば、その方の自立や気づきを阻害してしまうことにだってなる。

沈黙することで見えてきたものは・・・

エネルギーがわかる人には、わかるかな。
私が伝えていきたいのは、こういうこと。
同じ石、同じ条件(iphone、ほぼ同時刻)でも、撮影する側のあり方次第で違う写真になってしまう。


言葉でも、香りでも、音でも、アートでも。見えないものが全てなんだ、ということ。

これからブログで書き綴る内容は、思考ではなく心から発されるものに限られていくことと思います。

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