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私のファッション遍歴

服にハマっているに人であればみな現在地へ辿り着くまでに様々な紆余曲折があったと思う。
他人のその過程にとても興味があるがまずは自分のそれを書いていく。

高校生期

高校から寮へ入った。外出するならとりあえずイオンみたいな県だったため、自分で初めて服を選んだのはイオンの中のGUだった。それまでは母親の選んだ服を着ていた。GUでは良し悪しも全く何もわからず店員さんや友人に連絡したりとなんだかんだ試着してGUで1時間くらい悩んで三着買った覚えがある。自分で考えず周りの意見を聞きまくっていた。

私服を着ていたときは自分は変な服を着ているのではないかとそわそわしていた。実家ならとりあえずジャージで良かったし誰も何も言わなかった。寮に一人暮らしをしており同年代の友人たちも多くいる中で出かける時にダサいのと思われていないかとにかく不安だった。今思えば思春期特有の自意識過剰である。
そこからとりあえず「メンズファッション  流行」や「メンズ オシャレ」などと検索しまくる。当時はwearが出来始めた頃でありゲンジ氏などが活躍していた。
インターネットで検索して出てきたものやwearなどの影響を受け、そして思春期真っ只中だったため女子ウケも考えシンプルなオシャレを目指すべきだと結論付けた。その頃は少ないお小遣いでユニクロや無印で服を買っていた。

県内にある入りやすい大衆向けのセレクトショップに先輩に連れて行ってもらい以降はそこで服を買うようになる。その店はちょうどいい流行りや田舎ならではのアウトドア感やイキリ感のある服からシンプルなアメカジなど田舎の需要をしっかりとキャッチしたセレクトをしていた。(NIKE、vans、thenorthface、ラコステなど)

それからは様々な服に興味を持ち県内のセレクトショップや古着屋を自転車で回っていた。

思えば服にハマり始めたのもこの頃からだろう。高校生の頃から数年は、暇さえあれば色々な人の服に関するブログを読んだり、wearを見まくって自分の好きな系統を考えたり、服の歴史や何がオーセンティックとされているのか調べたり、色々なセレクトショップの取り扱いブランドを調べて知らないブランドを見まくったり、今の流行りを調べたりととにかく服について勉強し考えていた。
知識を得るのと共に似合う似合わないや好き嫌い、自分のこだわりや体型を考えた。
思えばかなりの熱量だったと思う。人生の中であれほどの熱量で何かに取り組んだことは他にあるかわからない程だ。

18歳以降

バイトをしまくって月に数万円稼ぎその7.8割は服に費やしていた。そして少しずつ許容できる服の価格も上がっていった。 
この頃になると自分の好きな系統や雰囲気が多少まとまってきた。しかし田舎なので大手セレクトショップなどはなく時々県外に行った時に服屋を巡っていた。古着も少しかじった。このころはbshopやマーガレットハウエルなどが好きで変わらずシンプルでオシャレみたいなのに憧れていた。
あとなぜかデサントポーズをよく着ていた。機能性と現実的なシルエットが好みだったのだろう。

何かで大阪へ行く機会があり、グランフロントのbshopでオーラリーのかなり太いコーデュロイのパンツを買ったが、結局メルカリで売ったのは良い思い出。大阪で試着した時は良いと思った物が田舎では気恥ずかしくて上手く着れなかった。良いと思った服を好きに着ればよかったと今では思う。

当時は服の世界が広がった頃で少し攻めた服やそんなん着ないだろって服をよく買っていた。

就職前は一つのセレクトショップにハマってそこの取り扱いブランドを集中して買っていた。そのブランドの服はもうほとんど売ったり友人にあげてしまったが今でもあるブランドで、今の方が人気だと思う。

その頃はとにかく服が好きでアパレルに就職しようかとも思ったが給料が高くなく将来や生活の方が大事だと判断し服は趣味で楽しもうと思いやめた。また自分は服についてほとんどネットでの知識しかなく、現実での経験がなさすぎた。自分がどこかの店の店頭に立って接客をするイメージはあまりできなかったというのもある。

就職、都市部へ

就職前のインターンで大阪に出た際に阪急メンズ館へ初めて行った。初めて見る高級服やモード服に興奮した。都会の人はこういう服を日常的に着るのかと羨ましく思った。ギャルソンやヨウジを見て実際に自分がこれを着て歩くのは無理だと思った。自分にはギャルソンやヨウジを着るための純粋な憧れやその意思がなかった。店員さんも怖かったし。
その時にisseymiyakemenに出会った。他の店よりも店員さんが優しく落ち着いて服を見ることができた。店員さんの勧めで比較的シンプルなisseymiyakeらしいプリーツのついたセットアップを試着した。これまで着ていた日本の服は自分の身体には合わず、自分は服を着ることが向いていないと思っていた。しかしそのセットアップルを着ると自分のコンプレックスがむしろプラスになっていると感じ、isseymiyakeには自分の体が受け入れてもらえているのだと歓喜した。それはコンプレックスだった自分の体を肯定してくれているようだった。
そこからはブランドが終了する20awまでisseymiyakemenの虜になった。独特の染めや生地の織り、一枚の布というコンセプトを感じられる不思議なカット。isseymiyakemenにしかない魅力が確実にあった。ブランドが終了した今もその独特なポジションや魅力は確固たるものだと思う。願わくば復活して欲しいと今でも思う。
オムプリッセは似合わなかったし化繊より天然繊維の方が好きだったので着なかった。

isseymiyakemen以降

最も体と好みに合致したブランドがなくなったことで迷子になってしまった。ヨウジやギャルソンも買ったしよりオーセンティックな服も買った。古着も着た。流行りのビックシルエットもほどほどに買ってみた。テック系を着たりisseymiyakemenの昔の服を買ってみたりとブランド終了から一年は買う服が定まっていなかった。いろいろなものへ

出会い

これまで下手に熱量をもってモードやオーセンティックな服を着ていたので服へのこだわりができていた。街で流行っていて皆が着ている服はダボダボなサイズ感やロゴドンのTシャツ、ダッドスニーカーなどであり自分の好みとはかけ離れていた。 

自分の好みや体型などのバランスを考え、気になるブランドとその取り扱い店を調べているとアルチザン系のセレクトショップにたどり着いた。
後日勇気を振り絞って入店した。初見の客なので接客は当然塩。無音の部屋。店主の圧。街や他の服屋ではまず見ない形や素材の服。でもその店の服はとても魅力的に見えた。おそるおそる試着をさせてもらい鏡の前に立つと思わず笑顔になった。ドメブラなど日本企画の服を着てコンプレックスだった部分がこんなにも綺麗に服に収まりカッコよく見える。生地や形などあらゆる点で優れており好きな世界観でもあった。自分の求めていた服はこれだと思った。
接客は一般的にはクセがあると言われるものかもしれないが、とても、とても上手だと思った。
誰にも良いと言われなくてもいい。変な服と思われてもいい。こだわりの詰まったかっこいい服がそこにはあった。
それ以降はアルチザンの奥行きに戸惑いつつも歩を進めている。

今は好みやこだわりを突き詰めながら素晴らしい服たちと過ごしている。年齢や収入や生活など考えるべきことは多くあるが未だに服は好きで安くない値段の服を買い続けている。
買うことを目的としているわけではない。そのためこれからも同じようなペースで服を買うつもりはない。それらについてはまた別で書きたい。


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