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K.385の第4楽章の開始はどういう位置にあるのか?

K.385の第4楽章presto もまた、アウフタクト開始というこのsinfonieの遺伝子の存在に気が付かなかったら誤った捉え方をしていたことがわからなかっただろう。
つまり、これまではこの主題は4つの小節を分母にした無窮動的な、典型的なprestoだと思っていたのだ。

ただ以前から唯一疑問に思っていたのはこの主題の開始のフレージングだ。

1小節めは二分音符と四分音符がスラーで括られ、余った2拍め裏の四分音符にカイルが記させれている。このカイルは一体何を意味しているのかだけは引っかかっていた。
というのはここにカイルがあることで流れが悪くなるからだ。

しかし、このsinfonieがアウフタクト開始という遺伝子で繋がっているという仮説に立った時、このカイルの意図がわかったのだ。このカイルによるアクセントが2小節めの2つの四分音符スラーのアウフタクト的な役割になることで、このスラーには独特のアクセントを生み出す。「ティティヤ」という発音が生じるのだ。これが小節線を跨いで「ティ|ティヤ」となることで発音に明確さが生じる。それは4小節目とは明確な差別化にもなる。楽譜の狙いはここにあるのだ。つまり1小節めはアウフタクト小節になっている。このアウフタクトをきっかけに、

1 |①2 ②3 ③4 ④5 ⑤6 ⑥7 |
①8 ②9 ③10 ④11 |
①12 ②13 ③14 ④15 ⑤16 ⑥17 |
①18…

という形が流れ出していく。この後、6拍子の3回転から4拍子→5拍子のリレーを挿入して第2主題に繋がっていく。

これまでの単純なpresto把握とは異なり、この音楽の根本的な面白みが見えてきた。

耳で聞いた把握だけでは作品は見えない。少なくとも演奏したり論じたりする立場にいる以上、耳で捉えたものだけで終わらせてはならない。どこかに耳では捉えられなかった何かしらの誤りがあるものなのだ。自分の感性と楽譜との矛盾に気がついた時、それは作品に近づくための大事なきっかけになる。疑問を持てるということは幸せなことなのだ。

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