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マス目の中にいくつ入れるのかの発想

ベートーヴェンop92の第1楽章6/8vivaceはそのリズムが難しい。6/8の小節がいつのまにか三連符の4拍子になってしまう。これも6/8を3/8二つ、あるいは、付点四分音符の二拍子で捉えてしまうからなのだ。むしろ、小節を5+1の感覚で6拍目の8分音符を押し出す運動イメージでなくてはならない。さらにvivaceのリズム感がないとただのallegroに陥ってしまう危険性もある。そうなってしまっては提示部最後に二つの小節による総休止がある意味がなくなってしまうだろう。
つまり、vivace は二つの小節がペアとなって分母を作っている音楽なのだと仮定できる。以前にも書いたようにこの二つはアップの小節とダウンの小節の組み合わせであり、あるいはジャンプと着地の運動の組み合わせである。その呼吸が独特の躍動感を生み出している。この上下運動の組み合わせが< >の歌使いを醸し出す。そうでないととしたらvivaceの意味はない。vivaceと書いている以上、allegroとは区別できなくてはならないのだ。

細かい音符を正確に取ることよりもできるだけ単純化しなければこの問題は解決しない。

それと同じようにop68の第2楽章の12/8も11+1の付点リズムを掴まない限り3拍子4つという感覚の罠から抜け出せないのだ。そして、この正確な付点リズムでこの音楽を歌うと初めて小川の流れが見えてくる。

「小節の中をいくつかに分割する」というノリは難しい。けれども大縄跳びの波に乗るように、ひとつの波の中にひとつ言葉を投げ込むようなリズム感の発想がないとこの手のリズム問題は解決できない。

例えば4/4拍子の音楽に普通の4つの四分音符と二拍3連が交互に出るような場合を考えて見よう。この場合、まず先に小節運動の波がある。そこに「しながわ」を入れるのか「たまち」を入れるのかの問題なのだ。そこに4つの音声を入れるという発想ではなく、ひとつの「しながわ」なり「たまち」を投げ込むのに近いのだ。例えば小節4つを用意して、「しながわ」を4回発音する。同じように「たまち」を発音する。「たまち」が難しいなら「I M F」でも良いだろう。次に「しながわ|全休符|たまち|全休符」…を繰り返す。そのうちにその「全休符」を除去した「しながわ|たまち」を繰り返す。

遠回りかもしれないけど、このような単純化が必要な気がする。西洋の言葉と日本語の決定的な違いは運動性で乗り切るしかないのだ。











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