ブラックロールパンナ理論

君はブラックロールパンナを知っているか?

端的に言えば「ロールパンナが悪の心に支配されることで生じてしまうロールパンナの精神的事象」である。

そもそも、ロールパンナはパンとして作られた時に、ばいきんまんのせいで正義の心と悪の心を持つ存在として生まれてしまう。ロールパンナは人知れず、自分の中で正義の心と悪の心の対立する二つの心で戦っているのだ。そしてロールパンナのなかで悪の心が勝ってしまい、正義の心で抑えきれなくなった限界の姿が、ブラックロールパンナである。

涙が出てくるよ、やなせたかし。つらい設定を作りすぎだよ。

こんなにブラックロールパンナの悲哀が心に響いてくるのは、結局人間全員、心の二面性と戦っているからだ。その人の行動を全て分析したら、その行動の原因の元の元の部分は二つの相反する心が原因なのだ。

これをブラックロールパンナ理論と呼ぶ。

私の究極的な二つの心はなんなのか。それはズバリ「ずっとこたつの中でうずくまりたい」という心と、「人に認められたい」という心の二つである。私を研究する研究者は私の究極のところにこの二つの心があるということを発見し、その論文を書いて、ノーベル生理医学賞を受賞するのだ。STAP細胞よりも大発見だ。

「ずっとこたつの中でうずくまりたい」。とにかくこたつの中にこもって幸せを感じていたい。社会がどうなったって知らない。ただテレビドラマとネットフリックスの配信が止まらなければもうなんでもいい。ハライチのターンとオードリーのANNと霜降り明星のANNが続いていればもうなんでもいい。そんな気持ちだ。

「人に認められたい」。自分が存在していることを褒めてほしい。ただ何も言わず抱きしめてほしい。心が通じ合っている会話がしたい。他人の頭の中にキーとなる人物として自分が存在していてほしい。そんな気持ちだ。

この二つの心がキレイに半々で存在していることで、私は社会的な人物として存在していられている。キレイな50:50だ。ちゃんとケーキの大きさだけじゃなくて、いちごの数も上にのってるチョコのやつも同じ、兄弟で喧嘩になることはない。浅田真央ですらこんなキレイなフィフティーフィフティーじゃなかっただろう。

しかし、この均衡が一ミリずれただけで私の社会性はおかしなことになってしまう。そうだ、ブラックロールパンナになってしまうのだ。

ただし、この世界のブラックロールパンナはアンパンマンをやっつけたりしようとはしない。ブラックロールパンナは全てを投げ捨てこたつの中にこもるか、他人との距離感を間違えて嫌われたと思い、寂しさに震えながらこたつの中にこもるかの二択だ。結局こもっているので、一択だ。もしかしたらこたつがブラックロールパンナ製造機なのかもしれない。

ブラックロールパンナは自分でも無意味なことをしていると正義の心ではわかっていながら、アンパンマンを攻撃する。この歯痒さ。たまったもんじゃない。こたつで戦うブラックロールパンナだって一緒だ。この心の不便さに飽き飽きしている。

しかし、ブラックロールパンナもいつかはロールパンナに戻って、社会性を取り戻さねばならない。本物のブラックロールパンナは愛する妹、メロンパンナの声に反応して、正義の心を取り戻す。現在の日本社会に生きるブラックロールパンナにはこたつの布団をめくって、声をかけてくれる人が親以外にいない。ロールパンナに戻るためにはこの孤独をふり払いたい。でももう人である時点で、このブラックロールパンナ理論は適用されるので仕方のない話なのだ。ロールパンナに戻るのに時間をかけてもいいじゃないか。

現在、そんなブラックロールパンナは書かなきゃいけないレポートを諦めて、こたつから布団に移っている。この単位は諦める。ブラックロールパンナはロールパンナに戻るにはもう少し時間がかかる。明日起きたら、ロールパンナに戻っていたらいいのに。隣に人肌を感じたい。今日も孤独の冷たい風を必死に布団で受け止めながらブラックロールパンナは眠りにつくのだ。

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