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あらゆるハードディスクはタイムマシンである

人間の主体的時間は、知覚による情報の集合によって構成される。同じ情報の集合を、身辺に再現できれば、過去の時間をシュミレートできる。たとえば、ある人を同じ部屋に閉じ込めながら、過去のある日と同じ新聞を読ませ、同じテレビ番組を見せ、同じ食事メニューを出すなら、ループ状の時間に巻き込まれたのではと、一瞬錯覚してしまうだろう。

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                                   2002年2月24日 20:56 東京・銀座

使用されたハードディスクに含まれる画像、動画、文書、メールは、いわば日付を持った情報のフラグメント、断片だ。これらを体系的に保存し、その情報にどっぷりと浸ることで、意識は過去と現在を自由に往ったり来たりできる。もちろん、自分の使ったハードディスクに限定すれば、過去の出来事そのものは変えることができないし、行ったことのない場所に行ったりすることもできない。だから、タイムトラベルというよりもタイムスリップに近いのだろう。

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           2005年1月6日 16:51 神戸

1TBあたり数千円とハードディスクの値段が下がることで、多くの情報をコンパクトに収蔵できるようになった。これは、とてもすごいことである。20年前のPCは画像を撮りまくればすぐにいっぱいになり、外付けハードディスクを必要とした。10年前のPCは、内臓のハードディスクも百GB単位になり、静止画の保存は問題がなくなったが、動画の継続的保存を考えると、ハイビジョンで撮るか、どうかは悩ましい問題だった。

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        2005年1月14日 20:27  東京・新宿

1TBの内臓ハードディスクを手に入れたことで、初めに行ったのは、外付けのハードディスクに保存してあったデジカメ画像を、すべてPCへと保存し直すことだった。

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外付けハードディスクにはカメラごとに分けて画像が保存されてあった。数にして48機、少ない。この20年間で買ったデジタルカメラの数は、新品中古を合わせて100機を超えているはずだ。はじめのころはまだ外付けハードディスクを買う考えもなかったし、購入後も保存漏れもないわけではなかろう。だが、残りの画像の大部分は今でも古いPCのHDDの中に埋もれているにちがいない。

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           2003年2月15日 21:52  東京・渋谷

いつか過去の画像をまとめて取り出すために、壊れたPCはすべて、廃棄せずに保存してあった。すべてノートPCなので、それでも段ボール箱一つで収まってしまうのである。

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とりあえず、現在動くPCの画像を、新しいPCに集約して、メーカーごとにまとめた。けれども、読むことにできる画像は撮影した画像の半分程度にすぎないのではないか。あちこち出かけた記憶はあるのに、その画像の多くがどこに消えたかわからないのである。

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         2000年8月23日 16:14 山形

過去のあらゆる時間へと、自由に意識をトリップできるようにするためには、過去撮影したすべての画像のデータベース化を進める必要があった。そのために避けて通れないのは、壊れたPCのハードディスクの復活であった。それぞれのハードディスクには、数えきれないほどの時間の断片が含まれているのだから。

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