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岸政彦編『東京の生活史』

圧倒的な存在感

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ようやく岸政彦編『東京の生活史』(筑摩書房)を購入することができた。社会学者岸政彦が中心となって進められたプロジェクト、東京で生活した人150人の生活史を聞き書きでまとめたインタビュー集である。9月に出版されたこの本の購入を年末まで延ばしていたのは、4,620円という価格にしり込みしたわけではない。

その本としての存在感の大きさゆえに敬遠していたのだ。

圧倒されるのは、百科事典のようなその厚みだ。

二段組みにして1216ページ。重さは1420g、厚さ60mmである。

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通常本は背表紙を上にして立てることができないが、『東京の生活史』は立てることができる。

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最寄りの紀伊國屋書店で買ったので、岸政彦のサイン入り袋がついてきた。でも、袋に入れたまま持ち帰ったら、袋に皺が入り、少し疵がはいってしまった。失敗した。店の人が言うように別の袋に入れてもらえばよかった。

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『東京の生活史』の読み方

『東京の生活史』を手にした人が誰でも思うのは、はたしてこれを読み終えることができるだろうかということである。

けれども、頭から最後まで読みとおす必要はない。たとえば、150人の近所の人がいて、全員に挨拶して回るだろうか。学校の同じ学年に150の生徒がいて、全員の顔と名前を覚えようとするだろうか。よほど奇特な人でなければまずしないだろう。

しかし、いつしか顔を合わせ、挨拶を交わすうちに、なじみの顔が増えて、いつのまにかそのエリアや学年になじんでしまう。そんな風に、この本ともつきあってゆけばいいのだと思う。

何通りかの読み方がある。

第一の読み方は、オーソドックスに、最初から最後まで順に読み進めるやり方だ。

第二の読み方は、目次に記された見出しを頼りに、興味がありそうな記事を拾い読みすることだ。

たとえば、音楽に興味がある人なら、一番最初の記事にピアノが出てくるので、次にはギーゼキングやドビュッシーの名前が出てくる295pへとワープする。その次には、レコード屋が出てくる1161pへと、という風に。

地名をたどるやり方もある。見出しだけでも、東京以外に、京都、神戸、荻窪、福生、富山といった地名が出てくる。自分のなじみのある場所から押さえてゆくというやり方もある。

あるいは人名、世代や職業、属性をキーワードにしながらたどってゆく。

第三の読み方は、聞き手の名前を頼りに、読み進めるやり方である。『東京の生活史』は、150人の人物の生活史を、異なる150人が聞いては書き起こしたものである。一人の重複もなく、聞き手の50音順で並べられている。その中には、岸政彦だけでなく、つれあいの斎藤直子や、『海をあげる』でノンフィクション本大賞を受賞した上間陽子などの社会学者の名前も入っている。それぞれについて一切肩書きなどは書かれていないので、自らの知識と検索を頼りにするしかないが、そんな風にしていくつかの記事を優先的に読み進めることはできる。そして、聞き手によって、いかに記事のスタイルや内容が変化するかの比較も可能になるだろう。

第四の読み方は、おみくじのように、ぱっと開いたそのページの記事を読むことだ。読み終わったら、また別のページを開く。重複したら、パスして、もう一度開いてもよいし、もう一度読み返してもよい。一切本人の自由である。

『東京の生活史』の読み方も、100人いれば100人が別の読み方をするはずである。買ったけれどもまったく読まない積読も、一つの読み方だ。手に取って、本の存在感を味わった時点で、それはその本を経験したことにちがいない。そして、それが機縁でもう少し読みやすい岸政彦の本、たとえば『ビニール傘』や、『断片的なものの社会学』を読み始めるかもしれない。あるいは、手にしたものの読み終えるのを断念し、まだ汚れてないうちにAmazonやメルカリで売りさばき、別の読者の手に渡るということもあるだろう。最寄りの図書館で、借りようとしたけれども、希望者が多く、ただ今5人待ちでまだ読めていないという人もいるかもしれない。

一冊の本との出会いや付き合い方、そして別れもまた、その人の生活史を形成する。

『東京の生活史』を購入した人にも、100人には100通りの生活史があるのである。

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