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#20 お酒のこと(1)

人生で初めてアルコールを口にしたのは、お屠蘇。それ以外で飲んだ記憶は、7歳くらい?お正月にチンザノ(ベルモット・ロッソ)の水割りを、母に飲ませてもらって美味しかったのを覚えています。
さすが昭和、今じゃ考えられませんね。

祖父だったかな、私が「おいしい」と言ったら目を細めて「この子は酒飲みになるねぇ」とにこにこしていた記憶があります。
はい、その通りになりました。

初めての悪酔いは高校生。確か2年生…バイト先の先輩(たぶん19歳)に、行きつけのスナックに連れて行かれて人生初のウィスキー水割りでやられました。もう本当に昭和…19歳の行きつけのスナックってなんなの。(高2が初の悪酔いもどうかしてる)

よく飲みに行くようになったのは、在仏時から。仕事の後にちょっと飲んで帰ろうか、な感じが増えて、自分の部屋でも飲むようになって。
その量が自然と増え、Vodkaのボトルが空になるペースが早くなり、あれ?さすがにこれはまずいんじゃないの?、と。

やばい、と思い飲むものをミネラルウォーターに変えました。(コントレックスが安かったし)こんなことでフランス暮らしを続けられなくなったらイヤだなという思いが強かったせいか、この切り替えはあっさりと。

帰国後は、「やっぱりワインが好きだなぁ」と飲む機会が俄然多くなりました。それでも家で毎晩必ず飲む、というよりは日々飲み歩いていた感じ。
お給料の多くが飲み代、飲まない日なんてなかった気がします。当時はバブル崩壊後の不景気で、派遣や契約社員の勤務が続きいろいろクサクサしてたせいもありました。

二十代後半の時、墨田区向島で「かもめ」(向島用語で、その料亭専属の酌婦のこと)をしていたことがあります。1年に満たない期間でしたが、お客さんが私が飲むと喜ぶ方ばかりだったので、かなり本気で頑張りました。毎日大吟醸を5合とか当たり前だったような…

頑張って飲むって、なに?という感じですが、当時はほんとうにそういう感じ。「はい、**ちゃんは毎回つぐのたいへんだからコップね!」と、冷酒やお燗の徳利、コップをお客さんが嬉しそうに差し出してくれるので飲まないわけにはいかんだろう、と。いや別にそんなに頑張って飲まなくても良かったんでしょうけどね、今思えば。

でもねぇ、グラスが空になったり私が手酌したりするのを「いいね!嬉しいなぁ!」とか言われちゃうと、こっちも嬉しくなってね…いや、お金払うの常連さんなんですけどね。

(※お座敷では、お客さんが酌婦についでくれることも多く、私の場合はお猪口じゃ忙しすぎるからと常連さんが他のお姉さんに「**ちゃんは最初からコップ持たせてね」と頼んでいました)

当時は、ずーっと酔っ払っていた感じ。けっこうな酔っぱらい状態で終電で帰って眠り、翌日午前中に目覚めた時点でもまだお酒は体に残っている。
二日酔いの記憶はあまりないのですが、とにかく四六時中酔っ払っている感じでした。

夕方、やっとお酒が抜けてきたかなぁという時間に髪を結い始め、帯を締めてまた飲みだすので。

1日中ほぼ酔っているので、嗅覚も鈍っていたと思います。
辞めた後、どこかの道端で金木犀の香りに気づけたとき、感動したくらいですから。

料亭の酌婦は二十代前半(渡仏前)にも経験していましたが、この向島のほうが気合入れてやったので、今でも宴席では「この人たちを全員ちゃんと帰す」ことに意識が行きます。

外でお酒を飲む=お客さんを全員ちゃんと帰路につかせるモード発動

辞めて二十年以上たつんですけどね…。
自分もそれなりに酔っていてもどうしても「タクシーを呼ばないと」とか「駅まで歩ける?誰が一緒の方向?」とか。
本質的に好きなんでしょう、飲食業&夜の蝶的な役割が。

なんて言いつつ、お酒にまつわる失敗には列挙にいとまがありません…後日また違うお話を。






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