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自然科学の知は本来、誰かのものではない。

「知財の獲得は技術開発の根幹である」

この記事では、技術が全てであるベンチャー企業が大企業に搾取されたり勝手に企業秘密を奪ってしまったりという例が取り上げられていた。「中小企業 対 大企業」という構図である。

「公的機関 対 民間企業」という構図でも同じことが起きる。国が公的に研究を保護、つまり出資しないと、同様の搾取が起きる。貧しい公的機関は、出資元である民間企業に対して立場が弱くなり、対等な共同研究は難しくなると思う。知という、研究者唯一の交渉材料を全て吸い尽くされてしまえば、用済みになり交渉の余地もない。

自然科学の知は本来、誰かのものではない。発掘するのは研究者の仕事だが、その知は誰のものでもなく、万人がアクセスできるべきものである。だが公的支援がなければ、その実現は難しい。市民のアクセスは不可能になり、営利団体のみが私益を追求するために独占、利用できるようになる。

日本における「公益のための(国家による)基礎研究保護」という観点の希薄さに想いを馳せている。若手研究者の異常な処遇を始めとする、日本の科学技術研究の危機(危機というフェーズは過ぎて終焉と言ったほうが的確だろう)を蘇生するとすれば、何をどうすれば良いのか。公的機関における研究の危機は、研究だけが危機に晒されるのではなく、市民自らが情報弱者に成り下がることでもある。これは対国内民間企業だけの話ではない。対他国、対他国籍企業、でも同じであり、捕食者の前に丸腰で躍り出るようなものである。国民に理解されているのだろうか。

ラジウムを発見したマリー・キュリーは、オープンサイエンスの先駆者でもあった。ラジウムの発見を人類と共有し、尋ねてくる者には無料で生成方法を教え、莫大な富を築くこともなかった。キュリーは、その根底にある哲学を示すように、このような言葉を残している。

"Radium is an element, it belongs to the people."


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