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大阪京都旅回顧録第二夜

ヤニの充満した車内。普段なら乗らない空間だったけど、状況が状況だしおっちゃんの人も悪そうではなかったからお世話になろう。そんな風に考えていた。

おっちゃんは映画や劇に関わってて寄生獣やパトレイバーの映画製作にも関わってたらしい。びっくり。おっちゃんの趣味は僕よりも大地と合い、車の話とかで盛り上がってた。僕らは足軽にいたとき「浜北まで」と出していたが、気がつけば車は愛知に入っていた。その間もおっちゃんは「浜松はラーメンがうまいんだよ」と晩御飯をおごってくれたり、休憩ごとにコーヒーを買ってくれたりして一瞬
「ドライブ気持ちい〜」と思ってしまうほどだった。

おっちゃんの吹かす煙草のモヤと車のヒーター。
窓から顔を出し2月の夜風を感じる。これがヒッチかぁ。「助け合いの心〜」90'のメロディラインが車内を包む。何回目のリピートだろう。

大地とはノリで始めたけれど、きっかけは多々ある。前のバイト先でよくしてもらっていた幹部の方に「大学生のうちにヒッチハイクやってればよかった。俺の分もいつかやってよ」って言われたこと、自分がやろうとしていることよりももっと凄い旅人が世界には五万といるってこととかね。

この先何ができるんだろうか。スリルなんてあんのかな。そんなことを考えていた。

・・・・・

結局名古屋までお世話になってしまった。夜22時過ぎ、健康ランドで一夜を過ごそうとする。気ままなドライブをしていたおっちゃんも一緒に。
「君たちには思い出だから」と言ってそこでも奢ってもらった。

沖縄のおばぁにしても、おっちゃんにしても情に触れることの大切さはかけがえのない価値なんだなぁ〜って感じた。要するにお金に対する考え方、人に何かをしてあげたいと思う心持ちについて考え方がアップデートされてったの。

翌朝。おっちゃんの「よし、三重いくぞ」の言葉に僕たちは耳を疑った。でもリアリーマジだった。なんでもおっちゃんは三重出身で、これから知り合いに会いに行くことにしたんだと。でも、話し方のぎこちなさから僕はおっちゃんのお節介を察した。ヒッチハイクで出会った人にここまで出来る度量に感銘を受けていた。

三重桑名でおっちゃんは知り合いと会った。その間桑名の朝市を歩く。野菜や乾物、菓子を買う人々。この人たちにとってはそれが日常なんだろうけど、僕等にとってはそれが非日常で、ヨソモノ目線で朝市を巡るのが楽しかった。

いよいよ別れの時。「どこが人乗っけやすいんだろうな?」最後まで親切だったおっちゃんと四日市で別れた。後で聞いたら大地に「人生甘くないから」って言ったの、おっちゃんだったらしい。笑

急にヒッチハイクという現実に戻され、少し怯む。車通りが多いものの、選んだ道はトラックが多い。最近のトラック業者は会社側が人を乗せるのを禁止しているらしい。ご時世だもんね。

でも僕たちも短い期間ながらコツを掴んできた。アイコンタクトと、笑顔。後は車を止めやすく、すぐ発進できるとこ。それだけ。ただ、コツだけでうまくいくものじゃない。運。

スロースタートだったけど、気づいたら正午を回っていた。「伊賀方面」を持って道に立つ。30分程してバンが止まった。工具屋の前でやっていたから始めはわからなかったけど、呼びかけられて気づいた。

寡黙なおとうさん。普段から乗せてるわけじゃないらしい。方面的に大阪ではなかったのだが、「それなら伊賀じゃなくてこっちの方がいいよ」と高速手前で降ろしてくれた。前の2人と比べるとかなりショートだったけど、高速まで連れてってくれたのはかなりでかい。謝謝。


高速へ着いたはいいも、用賀とは雰囲気が違う。疑うほど静か。なんだこれ…
おとうさんを責めるわけじゃないけどこれってヤバくない…?車通りが過疎りすぎてしんどい。粘るより作戦をコロコロ変えて出方を待つ方が性に合う僕たちは、用賀の時同様、最初のPAまで歩く作戦に出ようとしていた。

「おーい!乗るー??」

通り過ぎた車から女性の声がした。またこのパターンだ。ここがどこだかわかっていなかった2人からすればこの車はマジ救世主。(いつも救世主だけど)不躾にもドアをガッと開け、お邪魔させてもらうことにした。

中に入ると女性が3人。年齢は僕らより3~4歳上っぽい。話を聞くと彼女たちは保健室の先生らしく、名古屋の人たちだった。大阪でパーティーがあるらしく、「伊賀までじゃなくて大阪まで乗っけてってあげるよ」と言われた。お言葉に甘えないわけがない。とりあえずテンションが高く、初見もクソもないくらい歌ったり、恋話(結構エロトーク)だったりを話していった。
気がつくと車は京都に入っていた。ふと大地の顔をみた。


見覚えのあるビル、通り。車から降り挨拶をしてお姉様方と別れたあと僕たちは改めて目的地梅田に着いたことを噛みしめる。「その地についた感動」というより「人の温かさ」と、「やってみなければわからないな」ということを知れた。



大阪についてやりたかったことなど特段なかった。一応グリコやアメ村も行ったけど、なんだかふわふわした感覚。本町のスタバでコーヒーを飲みながら大地が、
「てか帰りどうするの」と言った。言い出しっぺは僕だけど、帰路は何も考えていなかった。またヒッチで帰る?夜行バス?一応バスを調べると東京まで1万近くかかった。どうする?を続けているうちに夜になった。

玉出で買った焼きそばを頬張りながら天神橋筋商店街を歩く。(どうしようもないけど、どうにかしなきゃ大地は新幹線で帰る、こいつを逃してはならない…)そう考えていると大地が

「じゃあ京都まで歩くか。いこ。」と言い出した。

大阪から京都までは50km近くある。普段なら止めるけど、この時は500kmを2日で行ったこと、夏に沖縄を150km歩いたことなどから感覚がバグっていた。
そして僕らは淀川を超え京都を目指すことになった。



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