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今年は見知らぬ人に優しくする人でいよう

皆様、明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い致します。

僕は昨日地元から東京に戻ってきたところなのですが、
元日からしばらく体調が優れなかった上、炬燵に座っていたら勝手にご飯が出てくるようなゆるっとした環境で数日間過ごしていたので、記事を書く気など全く起きず。
せっかく書き溜めるチャンスだったんですが、そんなわけで、これが2019年初noteでございます。


さて、僕は基本的に、新年だからとわざわざ改まって抱負を立てるのが好きではありません。
反省も振り返りも、目標も計画も、年に1回決まった時期にするようなものではなく、各々適したタイミングでするものだと思っているからです。

とはいえ、せっかくの機会ですし、公に宣言しておくだけでも効力を発揮することは少なくないので、ひとつ心に書いておこうと思います。


見知らぬ人に優しくする人でいたい

例えば、駅の階段で重い荷物を持っている人を手伝ったり。
地図を見て困っている観光客に声をかけてあげたり。
店員さんにちゃんとお礼を言ってみたり。

どうしてこれを思ったかというと、至極シンプルな話ですが、
親切にした時には自分も良い気分になれて、できなかったときには毎回後悔するからです。


昨年、ニューヨークに行った時に、道を歩いていた女性が段差に躓いて勢いよく転んでしまいました。
僕は一緒にいた人と話しながら歩いていたので、気が付くのが少し遅れてしまったのですが、近くにいた現地の方達がすぐに駆け寄って、「大丈夫?」と聞いたり肩を貸したりしました。

幸い大きな怪我は無さそうでしたが、
「こういうところは日本より親切だよね」という話になりました。

確かに、日本のお店では細かいところまでサービスが行き届いていることが多く、丁寧な仕事をするスタッフが多いのは事実だと思います。
その上、チップを請求する文化もありません。
海外旅行に行くと、そういう文化の違いをはっきり感じます。

しかし、街中での見知らぬ人に対する接し方は、ニューヨークの方が親切だと思います。
後ろの人のために扉を押さえて開けたまま少し待つくらいのことは、誰でも当たり前のようにしているように見えました。
道で転んだ女性に駆け寄った人達も、全員が「どうしようかな」と迷うよりも前に動いていました。

僕が普段東京で生活しているからかもしれませんが、こういう点では、とても冷たい人が多いです。


ただこれはあくまで僕の主観的な印象であって、日本とアメリカとどっちが親切かという議論はどうでもよいのです。

もちろん、僕も去年ずっと人に冷たくしてきたわけではありません。
近所で、迷っているおばあちゃんに道を教えたり。
駅のホームの真ん中で困っていた視覚障害者のおじさんに、肩を貸して改札まで一緒に行ったり。
お店のトイレが散らかっていたら、ちょっと綺麗にしてから出たり。

当たり前のことがいつも当たり前にできればいいのですが、
疲れていたり急いでいたりして心に余裕が無いときには、「どうしようかな」と少し迷って、「まあ大丈夫だろう」と立ち去ってしまうことも多いです。
さらに、肩がぶつかってしまったときに謝らなかったり、逆に、謝ってもらったときに目も合わせずに軽い会釈しか返さなかったり。
そういうことをしたときには、いつもちょっと後悔してしまうのです。

「ああ、俺は今この程度のこともできないくらい余裕が無いのか」と。


だから、「見知らぬ人に優しくする」というTo Doではなく、
「見知らぬ人に優しくする人でいる」というTo Beの形で、これを今年の目標としたいなと思います。

常に、心に余裕をもって生活したいですね。

もしかしたら、僕から冷たくされた人の気分が落ち込んで、それがまた伝染するかもしれません。
もし僕が「必要」以上に優しくできたら、その気持ちもまた伝染するかもしれません。

皆さんも、よかったら、ぜひ。

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